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2017-10

教師教育メールマガジン29号高田保則さんです! - 2017.09.29 Fri

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メールマガジン「教師教育を考える会」29号
           2017年9月29日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 田舎で連携して学ぶ
    北海道公立小学校通級指導教室教諭/
    オホーツクADHD&LD懇話会副代表/
    オホーツク子どもの発達サポート教育研究会副会長
                     高田 保則
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 29号は、高田保則さん。オホーツクで、小学校教師として、また地域の人々と共に子どもの発達に関わる研究会づくりに長年取り組んでこられた方です。         (石川 晋)
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1.教師が田舎で暮らすということ
 私が暮らすオホーツクは、圏域の端から端まで230kmの土地に約30万人の人々が暮らしています。
 田舎です。札幌市に行くには車で5時間掛かります。
 オホーツクは少子化の先進地とも言えます。少し郊外に車を走らせると、廃校舎が至る所に点在します。子どもが少なくなり、運営を維持できなくなった小さな学校が統廃合されているのです。一方、田舎の少子化は、点在する市町村のコミュニティー毎に、人々の結び付きが強まり、地域の子どもと家族をみんなで支えていくという可能性を秘めているのかもしれません。
 私はオホーツクで生まれ、オホーツクの学校に赴任して30年間仕事をしてきました。教師が田舎で暮らし、田舎で学ぶ意味について考えるようになりました。
2.連携するということ
 現在私は通級指導教室の指導者です。学びやコミュニケーション等で、様々な困りを抱えるお子さんを担当しています。指導室でのその子の様子を観察し、家庭やクラスでの様子をうかがい、困りの背景を分析し、支援策を提案するのが仕事です。通級指導は、その子に関わる人たちとの連携を抜きには成り立たない仕事なのです。
 関わる人たちのお話から、オホーツクの子どもたちも、現在は様々な子育てサービスを利用している事に気付きます。医療機関を受診している子がいます。塾や習い事に通っている子もいます。放課後に児童センターやディケアサービスを利用している子もいます。就学前は地域の保育園や幼稚園に通っています。保健師さんや子育て支援センターの相談を利用した子もいます。
 担当する子の情報を集めるために、保護者の承諾をいただき、そうした方たちに問い合わせをすると、誰もが好意的に回答してくださいます。子どもと関わる地域の大人は、積極的に学校と繋がりを持ちたいのだと感じます。
 人材の資源が限られたオホーツクは、連携機関のスタッフとすぐにお友だちになることができます。顔の見える連携が可能なのが、田舎の強みです。
 オホーツクでは、連携機関の方たちが参加する学習会や事例検討会が定期的に開催されています。そういう場に顔を出し、彼らの話をうかがう機会は刺激的です。
 その子の困りの改善を目指す作業療法士や言語聴覚士がいます。その子のニーズに合わせたきめ細かなサービスの提供を模索するディケアスタッフがいます。その子の成長を語る保育士がいます。その子の生い立ちや家族の苦悩を語る保健師がいます。集団遊びの中で、自立と社会性の育みを目指す児童センターの指導員がいます。
 職種や立場が違うと、同じ子どもへの向き合い方や接し方は自ずと変わります。彼らの価値観や仕事への矜持に触れると、子どもを育てる事を生業とする教師の仕事の意味について、改めて考えさせられます。
3.地域の資源を知るということ
 担当する子の保護者と一緒に食事をする機会が多いことも、田舎の特長かもしれません。お母さん方とお話するのは育児や子どもの様子についての話題が主になります。一方、お父さん方と食事をすると、互いの趣味や仕事のことが話題になります。
 オホーツクの基幹産業は一次産業です。農家や漁師のお父さんのお話から、地域の今が見えてきます。
 畑が雪に閉ざされる冬に、オホーツクの農家のお父さんは、本州へ旅行に出掛けます。市場を見て回り、消費者のニーズを探る視察をしているのです。『男爵』という品種のジャガイモがあります。小さなイモは、生産の場では規格外として廃棄されていました。ところが都会の高級レストランでは、小さな規格外の『男爵』を丸ごと調理して、料理の付け合わせに提供し、評判になっていました。自分の畑に棄てていたイモが高い価値を持っていた事に気付いたお父さんは、販路を開拓するために奔走しています。
 今の家庭で、魚を捌いて調理する事は少なくなりました。オホーツクの漁師のお父さんは、獲ったカレイを捌いて衣をつけてフライにし、温めるだけで食べられるまで加工する『六次加工』の魚を出荷する方法を探っています。オホーツクの酪農家のお父さんは、農場を会社にして従業員を雇い、機械化した牛舎で数千頭の牛を飼育しています。
 家族と暮らしを守るため頑張っている保護者のお話は魅力的で、教材化できそうな情報の宝庫です。保護者との繋がりから、地域の人材を紹介していただき、現在進行形で変化する地域の実情を知ることができます。
4.広く学ぶということ
 全国の田舎町に、子どもと関わる大人はいます。暮らしを支える産業があります。学校と自宅を往復するだけでは分からない事を、地域の多様な人たちと関わる中で学ぶことができるのではないでしょうか。
 ところで、辺境の地にあるオホーツクの教師は、新しい知見と情報を得ることに飢えています。都会に出て学ぶのは、時間も経費も掛かります。そこで、学びたい人を募り、お金を出し合って遠くの講師をお招きする学びの場が盛んに開催されています。私が携わる小さな研究会でも、そうした研究大会を続けてきました。講師の方にとって、オホーツクは、なかなか訪れる機会がない土地です。私たちはそこを逆手に取って、お話していただきたい講師候補の方に接触します。「オホーツクに来ていただけませんか?」
 もしも、そうお声を掛けられたなら、私たちにお付き合いいただけると嬉しいです。
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 私の初任地はオホーツクでした。高田さんとはその頃からのつながりでもあります。私は一度オホーツクを離れ、大きな町で教員をした後、再び田舎教師を選びました。高田さんのように田舎教師一筋ではなかったけれど、高田さんの問題意識を共有でき、同じような活動も、自分の暮らす地域で行ってきました。今、東京でに出てきて、様々な学校に入る機会をいただく中で、改めて、「村を育てる学力」とは何だろう、そして、それを担う教師の育ちはどのように支えられていく必要があるのだろうと考えています。北海道の郡部地域には、大量の新卒教師が採用されています。先日おうかがいした高等支援学校では3分の1がその学校で新規採用になった教師だとお聞きました。
 次号は、10月3日火。加茂勇さん(教科研「発達障害と教育」部会世話人/新潟県公立小学校教諭)です!
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メールマガジン「教師教育を考える会」
29号(読者数2538)2017年9月29日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
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(まぐまぐ:教師教育を考える会)
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教師教育メールマガジン28号、横山験也さんです! - 2017.09.26 Tue

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メールマガジン「教師教育を考える会」28号
           2017年9月22日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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  アフリカ・ルワンダにも教師教育を
               株式会社さくら社 代表取締役社長
                            横山 験也
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 28号は、若い頃から注目の実践家としてご活躍され、現在は、教師の
育ちを支えるための出版社を立ち上げて、書籍や教育ソフトで、多くの現
職教員の仕事を支えておられる、横山験也さんです。   (石川 晋)
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1,簡単な自己紹介
 元々は小学校の教師をしていました。教材作りが好きで、あれこれ作っ
ては楽しんで授業で使っていました。90年代後半、学校にコンピュータ
ルームができ、どうしても自分で教材ソフト、とりわけ算数ソフトを作り
たくなり、退職の道を選びました。
 授業で使える算数ソフトの開発を進める傍ら、若い頃から雑誌原稿や書
籍を書かせていただいていたので、そろそろ御恩返しと思い、教育の出版
社さくら社を設立しました。
 教師教育関連の書籍では、
『教師教育』(上條晴夫編集)
『三宅貴久子という教師』(三宅貴久子を語る会著)
『まんがで知る教師の学び』(前田康裕著)
『議論を逃げるな』(宇佐美寛著)
などを刊行しています。
 
2,一通のメール
 4年ほど前のことです。JICA(国際協力機構)の海外支援事業に関わっ
ている企業の重役M氏から1通のメールが届きました。アフリカの途上国
の理数科教育に力を貸して欲しいというような内容です。
 現役の頃から、「算数教材は国境を越える」と思っており、いつかはア
フリカ・南米の子供達に届かせたいと思っていました。自分の中にも途上
国への協力という思いがあったので、M氏とはすぐに意気投合しました。

3,途上国の厳しい環境
 その後、一緒に、アフリカのルワンダとケニヤの教育視察に出かけまし
た。
 見るもの、聞くもの、「悲惨」の一言です。まさに悲しいほどの状況で
した。算数の授業に至っては目を覆いたくなる内容でした。
 そこで、算数ソフトを使って授業をするとどうなるか、実際に現地の小
学校でやってみることにしました。(これはNHK報道局の取材を受け、
放送されています。)
1)子供達のモチベーションが一気に高まる。
2)内容の理解が、あっという間に進む。
3)集中したまま1時間の授業が続く。
4)教える先生が、何が重要なのかに気づく。(日本の指導法のノウハウ
がソフトに組み込まれているから)
 このような手応えがあり、視察後、いよいよ本格的に海外支援事業に乗
り出そうと決意を新たにし、JICAの事業に関わりつつ、今日に至っていま
す。
 この流れで昨年はアフリカのルワンダに3回渡航しました。

4,ルワンダでの教師教育
 ルワンダの算数を改善するために、教師教育をどう行うべきか、私なり
に仮説を立て取り組みました。

1)誰でも効果の上がる教材(現地版算数ソフト)で授業をすると、より
効果的な指導法を現地の先生が考え始めるだろう。
2)より効果的な指導法をグループで考えることが、授業研究・校内研修
づくりの一歩となるだろう。

 「教材により授業が大きく変わることを体験し、そこから研究を始めて
いく」という流れです。環境が劣悪なので、日本の研究の仕方をそのまま
持ち込んでも、研究の必然性が伝わりません。必然性のない研究は持続せ
ず、下手をすると、押しつけるようなことになり逆効果にもなります。大
事なことは、現地の先生が「よりよい授業にするために、工夫したい!」
という気持ちになり、それを実行できる環境を作ることです。
 そういう仮説を持ちルワンダに渡航していたからか、実践と研究を5日
連続して行える特別講習が、現地のIT企業とのタイアップで可能となる
幸運に恵まれました。

5,現地の子の計算の仕方
 「3+4」を計算する時、日本の子はすぐに「7」と答えてきます。し
かし、ルワンダの子は全員が下のように○を書いてから答えを出します。

  3 + 4 =
 ○○○ ○○○○

 まず、数の分だけ○を書いています。それから、○の数を1から順に数
えて答えを出し、それを記入します。大昔の「目の子算」です。○を書い
て数える目の子算は、数が少ない内は十分に効果を発揮します。しかし、
7+9などとなると、○の数を数える途中で数え間違いが発生することも
あります。あまり、良い方法とはなりません。
 こういう話を日本に帰り先生方にすると、それは半具体を用いているの
だから、まずは認めることが必要だと言う人もいます。それも分かりま
す。ですが、この○を書く方法はかけ算でも行われます。

 8×5= と出題されると、その脇に○を書き始めます。
○○○○○○○○
○○○○○○○○
○○○○○○○○
○○○○○○○○
○○○○○○○○

 ○を全部書き終えると、1から数えはじめます。5や10での区切りへ
の意識がないので、途中での数えミスが多発します。こういった様子を見
ていると、「5や10の束で考える」「基礎計算は暗算で答えられるよう
にする」という自覚が先生に無いということも見えてきました。教科教育
の研究もかなり遅れていると考えられます。
 悲惨な現状ですが、算数ソフトを用いることで、子供の算数力アップ、
先生方の教材研究力アップにつながるであろうことも、同時に確信できま
した。

6,「算数ソフト+研究」の効果は絶大
 頑固なほどに目の子算をする子供達に、算数ソフトを使う特別講習を行
いました。指導に当たったのは、現地の先生5人です。5人の先生は、事
前に算数ソフトと指導法についての研修を受けて講習に臨みました。ま
た、先生を2つのグループに分け、毎日、明日につなげる話し合い(研
究)を行いました。
 5人の中には教師になったばかりの若い先生もいましたが、どのクラス
でも成果は絶大でした。暗算で答えられる子が続出し、位取りを守ること
の大切さも理解できました。
 大きな成果が得られたので、ルワンダ教育局の局長との面談となりまし
た。現地の先生方が口々に、こういう授業ができるように学校環境を整え
て欲しいと熱くお願いしていた光景が忘れられません。局長もICT環境に
必須の電力を供給するために、ソーラーシステムの全校導入などどんどん
進めていくと話していました。

7,今後
 授業の研究をその都度行うだけでは、大きな見通しが立ちません。校内
研修などを見通しをもって行わせるには、どうしたらいいのか。そんなこ
とを思案していたら、それを伝える教師教育のムービーがあると伝わりや
すいとの声が現地関係者からあがりました。目下、前田康裕先生の『まん
がで知る教師の学び』のムービー化が検討されています。また、ルワンダ
大学に入っているアフリカの理数科教育研究組織からは、算数教育での共
同研究の話をいただいています。良い形でタイアップできれば、ルワンダ
の現場にあった教師教育の道が創れます。
 ルワンダの教育界は、日本のような資質の高い先生方、充実した学校の
設備、確立された研究組織、各方面との連携など、先達からの積み重ねの
ある世界とはほど遠い現状です。しかし、今は情報の伝達も物理的な移動
も、昔とは比べものにならないほど容易になりました。私が現役だった頃
には想像もできなかったアフリカの国ルワンダの教育界と、手を携えるこ
とが実現するまでになりました。かつて日本が百年かけて築いた教育の充
実も、そんなに多くの時間をかけずに繋いでいくことが可能なはずです。
そうしていつかは「ルワンダの教育はすごい!」と世界中が注目するよう
な教育システムができあがればと願っています。そのために、算数ソフト
など優れた教材に強い関心を持ち、教師教育を現地に合った形で進めたい
と考える方々と力を合わせてこの先を歩んでいきたいと思っています。
--
※文中の算数ソフトは『子どもが夢中で手を挙げる算数の授業』という名
称で販売されています。

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 ルワンダの教師教育の現状を紹介する形で、日本のこれまでの蓄積に丁
寧に焦点を当ててくださった論考です。日本の学校教育が培ってきた持ち
味・強みについて、改めて考える機会になりました。「前田康裕先生の
『まんがで知る教師の学び』のムービー化」、日本の我々も見ることがで
きるでしょうか。とても楽しみです。

 次号は、9月29日金。高田保則さん(北海道公立小学校通級指導教室
教諭/オホーツクADHD&LD懇話会副代表/オホーツク子どもの発達
サポート教育研究会副会長)です。北海道の北辺で、現場の教師たちがど
のように学んできているのか、丁寧にご紹介いただきます。
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メールマガジン「教師教育を考える会」
28号(読者数2536)2017年9月26日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
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(まぐまぐ:教師教育を考える会)
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教師教育メールマガジン26号、渡辺光輝さんです! - 2017.09.20 Wed

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メールマガジン「教師教育を考える会」26号
         2017年9月20日発行
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国立大附属学校の教師教育の現場から
~お茶中の教師は校内研究でどう学んでいるか?
 教育実習生は何に悩み、どう成長するか?~
       お茶の水女子大学附属中学校 教諭
                     渡辺 光輝
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 第26号は、お茶の水女子大附属中学校の渡辺光輝さんです。先進的な校内研修の一端を紹介していただくだけでなく、数年前から取り組んでおられる教育実習生の指導という、教師教育における非常に重要な課題について現場の様子をレポートしてくださっています。長文です。じっくりお読みください。  
                     (石川 晋)
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0 ごあいさつ
 こんにちは。お茶の水女子大学附属中学校の渡辺光輝と申します。
 私からは、国立大附属学校の授業研究と教育実習についてお話をしたいと思います。
 最初に自己紹介を。
 私はずっと中学校で国語を教えている教師です。
 最初の10年間は千葉県の公立中学校で、その後、人事交流で千葉大附属中で5年間。そして千葉県の教員を退職し、現在の中学校に着任して3年目となります。
 「教師教育」についてはとても興味があるのですが、専門的に勉強をしているわけではありません。「教師教育を語るおまえは、そもそも『教師』としてどうなんだ?」と言われると、はなはだ自信がありません。だから、これぞ「教師教育」だ! というのは無理そうですので、私の身近な経験から、こういうふうに教師は学んでいく、こうして実習生は成長していくのでは、というあたりのお話ができればと思っております。
 内容は次の通りです。
 一つ一つが結構長いです。
 興味を持ったところだけでも読んでいただけるとうれしいです。
内容
1 お茶中の教師は校内研究でどう学んでいるか?
(1)月一回の研究授業の時間を捻出する
(2)研究授業では学習者を見る
(3)教科を越境するテーマで教科の壁を超える
(4)「授業リフレクション」で公開研究会の改革に切り込む
2 教育実習生は何に悩み、どう成長するのか?
(1)「どうして……しないの?」
(2)「……はしたくないんです」
(3)「教師が教える時間」から「子どもが学ぶ時間」へ
(4)「全体」と「個」とのジレンマに直面する
(5)子どもから学び、リデザインしていく、二つの指導法
1 お茶中の教師は校内研究でどう学んでいるか?
 まず、勤務校の授業研究についてお話します。
 本校は研究校ということもあり、校内研究は学校の大きな柱となっています。
 多忙な教育現場では、無意味で形式的な校内研究が批判されることも多多ありますが。うちでは、少しでもその校内研究が実のあるものになるように工夫してきました。
 研究内容の詳細については長くなるので割愛しますが、具体的な校内研究の運用について、ここでご紹介します。
(1)月一回の授業研究の時間を捻出する
 4月などの繁忙期以外は、毎月第一火曜日に研究授業をやることになっています。
 その日は授業を50分から40分に短縮し、浮いた時間で、7時間目に研究授業をします。
 7時間目には授業をするクラス以外の生徒は下校となり、全職員でそのクラスの授業を見ます。
(2)研究授業では学習者を見る
 研究授業では、観察する生徒が指定されます。
 例えば、A班の4人の生徒は〇〇先生が見るというように、事前に観察する生徒を複数の職員で分担します。
 つまり、授業をやっている間、参観者は指定されたグループの生徒を責任を持ってじっくり観察することになります。
 普段授業をみるとき、参観者は「気になる生徒」や「気になる様子」だけをピックアップしてみるような見方になりがちなのではないでしょうか。しかし観察する生徒が指定されますと、そういうわけにはいきません。上の空だったり、一見ぼーっとしていたりする、ほとんど注意を引かないような生徒の姿にも、どんな意味があるかを考えることになります。授業の一連の流れの中での、特定の学習者の反応や思考を、参観者は考えながら見ることになります。
 授業後は、同じグループを観察していた教員が集まって、お互い気づいたことを言い合います。
 同じ生徒を観察していた人同士の振り返りですので、「〇〇ちゃんはこうしていたけど、それは〇〇くんのこういう働きかけや、教師のこういう支援が良かったからだ」など、具体的な気づきが共有されることになります。同じ生徒を見ているけど、他の先生と見るポイントが違うことがあるのも興味深いところです。
 このように、クラス全体をなんとなく見るよりは、一人の生徒をしっかりと観察し、それを他の教員と共有した方が、その授業のよしあしが浮かび上がってくると実感しています。
(3)教科を越境するテーマで教科の壁を超える
 中学校の校内研究の最大のハードルが「教科」という壁だと思います。
 研究授業をしても「私は数学科だから、国語の授業を見ても分からない」とコメントされたら一歩も前に進めません。
 だから、校内研究では教科の授業を取り上げることもありますが、その場合は教科の授業内容について検討するのではなく「思考を可視化するツールの活用」などのような教科を超えたテーマを取り上げてディスカッションします。
 また、最近は教科ではなく総合的な学習の時間を取り上げて研究しています。
 いま学校全体で取り組んでいるテーマが「コミュニケーション・デザイン科」という、総合的な学習の時間にかわる新教科の開発です。
 この新教科のキーワードは「協働的な課題解決を支える資質・能力」や、各教科で汎用的に活用できる「情報活用能力」、「コミュニケーションの創出」などです。
 このような教科を超えたテーマで校内研究をし、いろいろな教科のエキスパートの目で見合うことは、たくさんの学びが得られます。
 まず、「社会科ではこうしている」「国語科的な視点から見てこう言える」というような、それぞれの教科の持っている良さや特質が浮かび上がり、それを共有することができます。
 次に、他教科の様子を知ることで、それぞれの教科が持っていた、こだわりやしきたりが、いかに取るに足らないものであったかにも気づかされます。
 たとえば、社会や数学の「話し合い」では非常にあっさりとした指示でも生徒が生き生きと取り組んでいるということを聞いて、「私の国語の話し合いでは、ひょっとしたら教えすぎだったんじゃないか」ということに気づかされます。こういうエピソードはいくらでもあります。
 そういうわけで、中学校の校内研究のキモは、教科の壁を越える「越境」、複数のエキスパートが、一人の生徒、一つのテーマで見合い、語り合うことにあるのではないかと思っています。
(4)「授業リフレクション」で公開研究会の改革に切り込む
4-1 残念な研究授業後の協議会
 附属学校にとって最大の校内研究イベントが、年に一度行われる公開研究会です。
 公開研究会は学校外のさまざまな人に授業を見ていただき、共同で検討するというまたとない機会なのですが、この公開研究会、「やってみた良かった」ということ、やってみてむなしさが残ることと二つのケースがあります。
 その最大の要因は、授業後の協議会です。
 授業そのものは「成功」でも「失敗」でも何らかの学びはあるわけで、それで「むなしい」と感じることがありません。
 しかし、協議会によっては「何のために授業をやったんだろう」と思うむなしさに授業者が一気に襲われることも少なくありません。
 例えば、参加者の人が、授業の内容とはあまり関係がない、些細と思われる質問をされる場合。(「生徒の漢字が間違っていましたが、どのような指導をされてますか?」など)
 また、例えば、授業をまったく見なくても語れるような、ご自身の教育観を蕩々と語られ、最後に付け足しのように質問される場合など。
 このような残念な協議会を私はいくつも経験してきています。
 しかしこれは、「参加者のせい」なのではなくて、協議会のあり方そのものが、そういうやりとりを生み出しているのではないかという問題意識をずっと持っていました。
4-2 授業リフレクションの試み
 そこで、昨年の公開研究会から国語科の協議会で「授業リフレクション」を取り入れることにしました。
 ちょうど所属している教育サークル(KZR東京むさし野会)に、授業リフレクションを研究している澤本和子先生がいらっしゃいますので、昨年から澤本先生の監修で協議会を一新してみました。(澤本先生の論考は、『国語科授業研究の展開』東洋館出版社、2016や、『夢中・熱中・集中…そして感動 柏市立中原小学校の挑戦!―授業リフレクションで校内研を変える』東洋館出版社、2005があります)
 
 昨年の公開研での授業リフレクションは以下の手順で行われました。
 やや細かいですが、そのまま参考にできるように書いておきます。
////////////////////////////
【授業リフレクションの流れ】
0 趣旨の説明
 メンター(澤本先生)が授業リフレクションの趣旨について説明。
 「今日の授業リフレクションの主役は〇〇先生(授業者)です。
 メンター、参加者は、授業者のリフレクションをお手伝いする存在だと思って、今日の授業リフレクションに参加してください。」
1 授業者の個人リフレクション(5分)
 授業者が、授業をやってみて感じたことなどを語る。
2 メンターとの対話リフレクション(20分)
 メンターが、1を受けて、授業者に質問をして授業者のふりかえりをさらに引き出す。
3 参加者との共同リフレクション(40分)
(1)コメントの記入
 参加者(授業の参観者)は1・2を聞きながら、その場で考えたことを次の2種類の付箋に書き出す。
・赤の付箋……これはいいな
・青の付箋……詳しく聞いてみたい、疑問
 あとで集約することを考えて、キーワード、またはキーフレーズで端的に一つだけ書くようにする。名前も記入する。
(2)付箋を整理する
 メンターは参加者からの付箋を、その場でKJ法でまとめていく。
 「教材」などのトピックごとにまとまっていく。
(3)整理した付箋をもとに集団リフレクション
 メンターは、整理された付箋を見ながら、意見が集中したものや、逆に際立ってユニークなコメントなどを取り上げ、なぜそのコメントを書いたか、参加者から意図を聞く。
 また、授業者に「こういう意見がありますがどうですか」などと質問して深めていく。(時間があれば、テーマを設定して全体でディスカッションすることもあるそうです。)
4 メンターから(20分)
メンターから、「授業リフレクション」の意義、背景についての解説。
5 参加者から手紙を手渡す
最後に、参加者が授業者にメッセージを書き、それを手渡しでプレゼントして終了。
////////////////////////////
4-3 授業リフレクションの特徴と良さとは?
 私自身、初めて授業リフレクションに参加してみて気づいたこと、考えたことがたくさんあります。
 一つは、この協議会は「授業の善し悪し」を冷めた目で批評、検討するものではないということです。そうではなくて、「授業者が何を捉え、どう感じ、行動したか」に焦点があたっていることが特徴だと感じました。もう一つは、最初と関連するのですが、授業リフレクションでは、授業者がよくしゃべる協議会になるということです。うまくかみあっていない協議会ですと、授業者を置いてけぼりにして参加者が一方的にしゃべり、授業者の問題意識とは違う、あさっての方向で議論が進み、授業者は黙ってそれを聞いているということがあります。しかし、授業リフレクションでは「授業者のリフレクション」が中心に据えられ、それを他の参加者が支えるという構成になっているのがユニークだなと感じました。(これは私の感想なので「授業リフレクション」の本来の理論とは違うかもしれません)
◆◆◆◆◆◆
 ここで、ちょっとだけ宣伝なのですが、お茶の水女子大学附属中学校の公開研究会が10月28日(土)に行われます。
 公開研究会では各教科の授業とコミュニケーション・デザイン科の授業を公開します。国語科の事後協議会では、澤本先生がメンターとなって、この「授業リフレクション」も行います。ちなみに授業者は私(渡辺)です。中学二年のクラスの授業を公開します。
 下記HPに申し込み方法等が書かれています。
 当日飛び入り参加も可能ですので、是非お待ちしています。http://www.fz.ocha.ac.jp/ft/menu/resarch/d001961.html
 また、詳細等、知りたい方は渡辺までご連絡ください。
 watanabe.kokiアットocha.ac.jp (アットを@に変換してください)
◆◆◆◆◆◆
2 教育実習生は何に悩み、どう成長するか?
 次の話題は教育実習です。
 国立大附属学校は毎年たくさんの教育実習生を受け入れます。
 お茶大はそれほど多くはないですが、前任校の千葉大附属中では年間で150人近くの学生さんを受け入れることもありました。これを複数の期間(2~3期)に分けて受け入れることになります。
 一人の教員が受け持つ実習生は教科によって異なりますが、国語科の場合、千葉大では2~3人×3期間、お茶大では2期間で年間1、2人くらいです。音楽や美術などの一人教科はその3、4倍の実習生を指導します。また、学級担任であれば、クラスに最大6人くらい実習生が入ることもあります。
 実習期間は三週間。その間、多いときは50人くらいの学生さんが校舎内をひしめき合うことになります。
 今までの実習生指導の体験から、こういうことは良くあるよな、こうやってみんな悩み、伸びていくんだよな、というあたりをお話したいと思います。
(1)「どうして……しないの?」
 実習のスタートは観察期間。授業をひたすら観察していきます。
 この観察期間の実習生の反応として、私がとても気になる傾向が「どうして……しないのか」という疑問を実習生がもつことです。
 例えば、
「どうして全員が手を上げないのか」
「どうして話し合いで生徒は話さないのか」
「なぜ授業を静かに聞いていられないのか」などなど。
 実習生の頭の中では「全員が手を上げるのが当たり前」「話し合いで話すのが当たり前」というフレームができあがっている可能性があります。もともと教師を志望するくらいですから、まじめで優秀な人が多いのかもしれません。
 なかには、他の先生の授業を参観して「どうして……しないのだろうか」という批判めいたコメントを実習簿に書く学生さんもいるほどです。しかし、評論家のような言い方をしていた実習生も、実際に自分が授業をするようになると、そのようなコメントは激減します。
 「なぜ手を上げないのか」という問いは、「手を上げるのはどうしてだろう」という問いへ、「なぜ話し合わないのか」という疑問は「話し合えるのはどうしてだろう」へと。また「授業で静かになるのはどんなときだろう」へと、まなざしが変わっていきます。
 これは、同じことを言っているようで、大きな認識の変化があると感じられます。
 つまり「なぜこうしないのか」という理想から「こうしているのはどうしてだろう」というありのままの現実を捉えるまなざしへと、視点が変化したわけです。
 これは、実習生が評論家としてでなく、授業の当事者として育っていく一つのきざしだと思います。
(2)「……はしたくないんです」
 私は、実習生にはとにかく授業を楽しんで取り組んで欲しいと思っています。難しい顔をして、つまらない授業をするよりも、実習生にとって一番生き生きとした姿で生徒の前に立って欲しいと思っています。
 だから、実習生にとって「やらされる授業」ではなく「やってみたい授業」になるまで、私は指導教官として根気強く教材研究をフォローするようにしています。そして実習生と一緒になって授業づくりを楽しむことにしています。
 実習生とこんなやりとりがありました。
「私は、教師が一方的にしゃべる授業をしたくないんです」
「そうか」
「あと、枠にはめるような授業もいやです」
「ふーん」
「あと、こういうのも好きじゃなくて……」
「わかったわかった。なんとなく思いは伝わった気がするんだけど、『……はしたくない』っていう否定形じゃなくて、今度は『……はしたい』っていう肯定形で、あなたのやりたいことを言い直してみて」
「うーん、それが……」
 ギャグみたいなやりとりですが、こういうことは良くあります。
 まずは教師である実習生が、自分はこうしたいという明確な思いやイメージを持たないと、少なくとも持とうとしないと、授業をつくるスタートにさえ立てません。
 「こういう授業はしたくない」という否定形から「こんな授業をしたい」という肯定形へと変えていくために、指導教官の私は、根気強く実習生の思いを引き出していくことになります。
(3)「教師が教える時間」から「子どもが学ぶ時間」へ
 一週間の試運転を経て、いよいよ実習生の授業が始まります。
 最初の授業はとにかく「かちかち」です。
 いろいろな意味で「かたい」です。
・まず、表情が硬い。
・次に、授業の展開がかたい。臨機応変にいかない。
・そして、扱う内容がかたい。取り上げる内容やエピソードが、生徒の実感などとかけ離れた「教科書的」な感じ。もうちょっと子ども目線があるといいよね、というものになっている。
 こんな感じで「かたさ」が教師の身体全身に、授業全部にみなぎっているのが最初の授業です。
 授業の熟達とは、ひょっとしたらこの「かたさ」から、学習者に柔軟に変化させていくことのできる「やわらかさ」へと至るプロセスであるというのは言い過ぎでしょうか。
 「かたさ」と、もう一つの傾向は、とにかく詰め込みすぎるというものがあります。あれもこれも教えたい内容を詰め込みすぎて、実際に授業をしたらその半分も進まないという事態が起こります。
 実習生曰く、これは「間が持たないんですよね」ということ。
 教師が発問をしたら、すぐに答えてくれないと不安で仕方がない。
 あっという間に準備した内容が終わってしまって、授業の時間が余ったらえらいことだ。そう思って、とにかく生徒を置き去りにして、詰め込むだけ詰め込んで、ぱっぱと進めようとします。
 教師が指示や発問をする。そのあとで、生徒一人一人の考えている姿をじっくりと見回すだけの「間」をつくる。そのような、教師の一方的なペースから、学習者のペースへと寄り添うことができるようになれば、やっと授業が「教師が教える時間」から「子どもが学ぶ時間」へと動き出すようになります。
(4)「全体」と「個」とのジレンマに直面する
 やっと授業で「見る」「待つ」ことができるようになってきた実習生が次に直面するジレンマが「全体」と「個」への対応についてです。
 たとえば、実習生が授業である作業を指示しました。
 実習生は、指示を出したらすぐに、一番作業に手間取りそうな生徒のところに行き、手取り足取り個別指導を始めました。
 しかし、他を見ると、そもそも作業の指示がうまく伝わっていなくて、何をやったらいいか分からない生徒がいます。
 能力が高く、さっさと作業が終わってしまった生徒もいます。
 しかし、実習生は、手間取りそうな生徒に、ずっとつきっきりで指導をしているので、他の様子が目に入りません。つまり、他の生徒は置き去りにしてしまっています。
 実習生がよかれと思ってとった行動も、他の生徒にとっては適切な支援とはなっていなかったのです。
 学校の授業は家庭教師とは違います。必ず「全体」への指導と、「個」への指導とのジレンマに直面することになります。
 どうしても「個」に目が向きがちなのですが、そのときも常に「全体」が目に入っていなければいけません。そして「全体」へのバランスの中で「個」への支援をしていくことが必要になります。
 と、こうして口で言うのはとても簡単なことなんですが、これは実習生だからという問題ではなくて、私たち教師が必ず直面する授業の難しさでもあると思います。
(5)子どもから学び、リデザインしていく、二つの指導法
 最近、なんとなく実習生指導の勘所がわかるようになってきました。
 それはひと言で言うと、実習期間を通して、「子どもから学んで作り変えていく」ことを実習生が学ぶようにすればいいんじゃないかということです。
 たった三週間の実習期間でも、そのなかでの「教師の成長」「授業の進歩」というのはあります。
 それを最大化する秘訣は「リデザイン(再設計する)」にあるのではないかというのが現時点での私の見解です。
 教材研究をきっちり、みっちりやることは、そもそもできるものではありません。完璧に「完成」した授業案を子どもの前で展開しようとするのではなく、授業を常に「未完成」な開かれたものとして、子どもの姿を見ながら、何度も何度も授業を作り直していくようにしていくのです。
 そういう「子どもの反応から学んで作り変えていく(リデザインする)」を最大化させる実習生指導の方法としてうまくいったなあと感じているのが「A デュアル型指導法」と「B 振り出しに戻る法」です。(と偉そうにいっていますが、オリジナリティーを主張するようなものでは全くありませんので、どんどん他校でも使ってください)
A デュアル型指導法
 2人の実習生を受け持ったときのやりかたです。
 お互いに自分がつくった指導案をシェアし合うという方法です。
 次のようなやり方です。
・受け持つのは4クラス。これを2人で2クラスずつ分担する。
・授業では二つの教材(例、小説)を扱うが、取り上げる指導事項は同じものとする。(例えば「登場人物の人物像を読み取る」という共通の指導事項について、二つの教材で別々の授業をつくるというようなイメージです)
・実習生は、二つの教材のうちどちらかの指導案を書く。
・まずは、自分がつくった授業案で授業をする。そのあと、他の実習生がつくった指導案で授業をする。
・その間、授業での子どもの反応をしっかりと観察し、その反省点を次の授業に生かすようにお互いにアドバイスし合う。
 このやり方で実習をすると、次のような気づきが得られます。
・共通の指導事項を、別の人が、別の教材、指導法で授業をすることから生まれる気づき。
・自分がつくった授業を、他の人が生徒の前で授業している様子を見て、それに対してアドバイスすることから生まれる気づき。
・自分がつくった授業を、他の人が授業して、ふりかえるのを聞いて、さらにそこから生まれる気づき。
などなど。
 そういう何重、何層もの気づきが生まれやすくなるのが、この「デュアル型指導法」です。
 この実習生指導の発想は、うちの学年で、道徳の指導案を学年スタッフが共同で分担して作成し、シェアしているところから生まれたものです。
 確かに、自分がつくった指導案、自分がやった授業を他の人が授業するのを見るのは、また、他の人がやった授業を自分でもやってみるのは、色色な意味で、かなり強烈な体験となります。
 「こんなやり方があったのか」という反面、「自分だったらこうする」という気持ちがせめぎ合います。
 そもそも、どんな授業も、まねしようにもまねできるものではありません。子どもの反応も、同じ指導案であっても、教える教師が違えば全く別物のように異なります。
 そこから、自然と「私は、授業をこうアレンジしたい」という自律的な「リデザイン(再設計)」の発想が生まれます。そういう授業には「この人にしかできない授業」という、その人らしい「味わい」も出てきます。
 これは、複数の実習生を受け持つことのできる附属学校ならではの実習生指導の方法かもしれませんが、教育実習でなくても校内研究でも一般的に行うことのできる方法だと思います。
B 振り出しに戻る法
 もう一つの方法は「振り出しに戻る法」です。(ネーミングはかなりいい加減)
 これは一人の実習生を受け持ったときにとった方法です。
 4クラスのうち、まず2クラスを最後までやってしまう。そのあと、残りの2クラスの授業を「振り出しに戻って」スタートさせるという方式です。
 この方法のキモは、ゴールのイメージを持った上で同じ内容を別クラスで繰り返していき、試行錯誤のサイクルを回していくというものです。
 当然のことながら、最初にやった2クラスとは見違えるくらいに授業を向上させることができます。(最初のクラスにはごめんなさいですが、それはちゃんと私がフォローします。)
 繰り返して行うことで「次はこうしてみよう」という意識が生まれて、どんどん改善していくのです。
 なぜ改善したか、これは言うまでもなく、子どもの姿、反応を見て、実習生自身が授業をリデザイン(再設計)したからに他なりません。
 「指導案」を書いたのは最初の一度だけです、しかし、そこから指導案に縛られずに、子どもの反応、学びの様子を見て、もう一度教材に戻って研究をしなおして、授業を更新していこうという気になったのでしょう。
 こういう教材再研究、再設計は、実は中学校の教師なら当たり前のようにやっていることでもあります。色々なクラスで、何度も何度も同じ授業を繰り返す中で「やってみたらこうなった、なぜだろう」という問いが生まれ、「こうすれば良いのでは」という仮説を見いだし、「次のクラス、授業ではこうしていこう」と、子どもの姿から学び、授業を組み立て直していくのです。
 この「リデザイン(再設計)」は、4クラス連続して授業を行うよりも、ある程度時間をおいて再び実践するほうが、当然準備も綿密に行えて、うまくいきます。
 以上見てきたように、たった三週間、10時間程度の授業実習でも「子どもから学び」、「授業をリデザイン(再設計)していく」ということは体験することができます。
 そしてその威力を知ることのできた実習生は、きっと教壇に立ったあとでも、いつまでも、子どもから学び続けることのできる教師になってくれると思います。それこそが、私が教育実習で実習生に学んで欲しいことでもあります。
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 私も昨年、お茶の水女子大附属中学校の公開研究会に参加しました。文部科学省の指定を受けて新たな教科カリキュラムづくりに取り組んでいる学校でもあり、大変清新な研究でした。と共に、渡辺さんがご紹介くださっている澤本和子さんの授業リフレクションも実際に体験することができました。今年度の研究会も、校種を問わずご参加をお勧めします。
 それにしても、教育実習の指導について。大変読み応えがありました。 「子どもから学び、リデザインしていく」体験の場にしていく…。 うーん現場の教員に向けられているメッセージとも読んだのは、私だけでしょうか…。
 次号は、9月22日金。矢野博之さん(大妻女子大学教授/REFLECT理事)です。教師教育学会の事務局を務めるなど、教師教育学に中心的にコミットされてきた方、です。
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メールマガジン「教師教育を考える会」
26号(読者数2534)2017年9月20日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
登録・解除 http://www.mag2.com/m/0000158144.html
(まぐまぐ:教師教育を考える会)
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教師教育メールマガジン25号、吉川岳彦さんです! - 2017.09.20 Wed


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メールマガジン「教師教育を考える会」25号
           2017年9月19日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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「教師教育とは、すなわち自己教育である」 
シュトゥットガルト自由大学 修士課程クラス担任及び専科教員コース
吉川 岳彦
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 第25号は、吉川岳彦さんです。シュタイナー教育を学ぶために、ドイ
ツ・シュトゥットガルトにわたり研鑽を積む元高校教師の現地からの報告
です。                   (石川 晋)
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「教師教育とは、すなわち自己教育である」  ルドルフ・シュタイナー

【はじめに】

 シュタイナー教育を学ぶために、昨年の5月、ドイツ・シュトゥットガ
ルトに来ました。ほとんどドイツ語が聞き取れない、話せない状態から、
なんとか大学院に入って、ちょうど1年間です。ここでの学びを紹介しな
がら、教師教育について、考えてみたいと思います。

「そもそもシュタイナー教育ってなんなんだ?」という疑問をお持ちの方
も多いかと思います。ただ、これについては、端的にお話することができ
ません。ドイツに来て、毎日シュタイナー教育を学んでいれば、うまく説
明できるようになるかなあと思っていました。ところが、なんだか、どん
どん説明がしづらくなるようです。

 それでも、あえて申し上げるなら「教師は、子どもの今だけを見るので
はなく、人生全体、果ては人生が終わった後のことまでを考えて、授業を
作っていくべきだ」というようなものになるでしょうか。「なるほど!」
ではないですよね……。とりわけ「人生が終わった後のこと」って何なん
だ? という感じではないかと推察します。このあたり、私自身は一つの
「たとえ」として考えています。「人が死んだ後も、その考えや生き方が
生きている人に影響を与え続ける」というような。ただ、シュタイナー教
育の基礎を作ったルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner 1861-1925)
には、どうも色々と見えていたようですが……。オカルトっぽい響きはあ
りますが、著書をよく読んでみると、「よく人間を知っていた人だったん
だな。大人だな」という印象があります。

 さて、1919年に、ここシュトゥットガルトの街を一望できるウーラント
の丘に、最初のシュタイナー学校(ドイツではフライエ・ヴァルドルフ・
シューレ=Freie Waldorf Schule 「自由ヴァルドルフ学校」と呼ばれる)
が作られました。その時、シュタイナーによって、14日間に渡り、午前は
教育理論としての「一般人間学」、午後は実践的な演習形式で、創立メン
バーの教員のため連続講義が行われました。つまり、たった14日間でシュ
タイナー学校の教師に必要な基礎を教えたわけです。この講義内容は『教
育の基礎としての一般人間学』『教育芸術1・2』(筑摩書房)として読
むことができます。さて、シュタイナーはどんなことを話したのでしょう
か。

【人間の全存在の要求に応える教育】

 「ヴァルドルフ学校は人間の全存在の要求に応える教育をしようと、た
だそれだけを願い、その意味でのみ統一(された目標を持った*吉川によ
る注)学校であろうとしています。すべてがこの目標に従ってなされなけ
ればならないのです。とはいえ、妥協の必要にも迫られます。妥協は不可
避なのです。なぜなら私たちは、本当に自由に行動するところまでは来て
いないからです。悪しき教育目標や悪しき卒業目標が国家によって定めら
れています。それらの目標は考え得るかぎりでの最悪の目標です。それな
のに人びとは、考え得るかぎりで最高のものだと思いこもうとしていま
す。今日の政治は人間を型にはまったものとして扱い、かつてないほどま
でに人間を型にはめようと試みています。(略)特に教育機関の設立を、
事柄の本質からはずれた仕方で、信じられないまでに高慢な態度で、考え
ようとしています。」(『教育の基礎としての一般人間学』3-4ページ
 R・シュタイナー/高橋巌訳 筑摩書房)

 もう一つ引用させてください。内田樹先生のブログからです。

 「消費者も、市場も、ニーズも、何もないところに建学者たちはやって
きて、そこに学舎を建てたのです。そしてそれから、「そこで学びたい」
という人たちを創り出した。学校に先立って学びたい人たちがいたわけ
じゃありません。学校を作ったことによって「そこで学びたい」という人
たちが出現してきたのです。ことの順序を忘れてはいけません。

 建学者たちは、自分たちは「こういうことを教えたい」という旗を掲げ
た。こういう教育がこれからの日本には必要なのだ、日本の次世代を担う
若い人に必要なのだと説いた。その熱い言葉に反応して、「学びたい」と
いう人が出現してきた。「こういうことを学びたい」という子どもたちが
まずいたのではなく、「こういうことを君らは学ばなければいけない」と
力強く語った人がいて、その先駆的な理念に反応して、「もしかすると自
分の中にあるぼんやりした欠落感は、この学校に行って、この先生に就い
て学んだら満たされるんじゃないか」というふうに感じた若い人たちが出
て来た。

 教育を受ける人たちというのは、教育活動に先立って存在するわけじゃ
ありません。「教えたい」というメッセージがまずあって、それに呼応し
て「習いたい」という人が出てくる。呼応するというより、同期です
ね。」
(「内田樹の研究室」http://blog.tatsuru.com/2017/08/31_1544.php より)

 先に引用したシュタイナーの見方には、おそらく相当の反発があったと
思います。今、読んでくださっている方々の中にも、反感を覚える方がい
らっしゃるかもしれません。いや、どうでしょうか。大筋では賛成してく
ださるでしょうか。いずれにせよ、私があえてこの部分を引用したのは、
このシュタイナーの持つ「熱」、内田先生が言うような「何もないとこ
ろ」、もしくは全く求められていないかもしれないところに、それでも
「人間の全存在の要求に応える教育」を求めて、新しい学校を作ろうとし
たという気概に心打たれるからです。

【Freie Hochschule Stuttgartでの教員養成課程】

 では、1919年の連続講義からほぼ100年後、同じ場所?ウーラントの丘に
あるLehrer Seminar(教員養成課程)では、どのような「教師教育」が行
われているのでしょうか。

 9月11日より、新年度が始まりました。ほとんどの授業は今日(12日)
から始まります。シュタイナー教育では、だいたい4週間単位で学ぶ内容
が変っていきます。これを日本のシュタイナー教育の現場では「エポッ
ク」と呼ぶことが多いようです。新年度、最初のエポックは次の通りで
す。

1時間目(8:00-9:20) Musik 音楽 

2時間目(9:50-11:10)Tafelzeichnen 黒板絵

3時間目(11:30-12:50)
Allgemeine Menschenkunde als Grundlage der Padagogik
教育の基礎としての一般人間学

4時間目(14:30-15:55) 音楽授業法 低学年のための

 1時間目の音楽は、1年生から8年生までを受け持つクラス担任のための
授業です。ここでは、音楽を専門としない教員向けに、授業が組み立てら
れています。これについては、後ほどくわしく書きます。

 2時間目も、同じくクラス担任が黒板に描く絵の描き方を学ぶ授業です。

 シュタイナー学校では、黒板に季節や行事に即した絵を描きます。だい
たい一つのエポックが終わるまで、その絵を残しておくことが多いようで
す。担当のBriggs先生によれば、「黒板絵は、放課後、静かな教室で落ち
着いて描きます。これは、子どもたちへの贈り物、挨拶になるのです」と
いうことです。なおかつ、「完璧で美しい黒板絵は、かえって子どもが想
像で埋めるべきすき間を無くしてしまうことがあります」とも。「失敗し
たら、上から別の色を塗ってしまえばいいんですよ。」「とにかくいろん
な色を混ぜましょう。そのほうが自然に近づきます。えーと、ほら! あ
の家の壁も単色じゃないでしょう」

 3時間目は理論の授業です。先ほど紹介した1919年の連続講義をテキス
トとして使います。これは、もう、担当のLeber先生のドラマティックで
早口なドイツ語と、ディスカッションのスピードの早さのため、断片的に
しか聞き取れていません。翻訳されたテキストがあるので、何とかしがみ
ついている感じです。

 4時間目、初日は、互いに考えていることを知るということで、「なぜ
私は音楽教師になろうとするのか?」「音楽の授業は教育上どのような効
果があるのか?」という質問にそれぞれが答えるというものでした。私
は、あくまでも経験のために副専攻で音楽を取っているので、「いや、私
は音楽教師になることはないだろう。しかし……」と言った途端、クラス
の皆がツボにはまったようで、爆笑しながら「まって、まって。じゃあ、
なぜここにいるの!」と聞かれました。「いや、オーケー、まあ聞いて!
 だからね、音楽は好きだし、シュタイナー学校には音楽が溢れている
し、まあ一つの経験ということなのです。」と言うと、「なるほど」と納
得してくれましたが。

【Ronner先生の音楽の授業】

 今日の授業の中では、音楽の授業が、私にとって、最も理解しやすいで
すし、シュタイナー教育の教員養成の特徴がよく出ていると思うので、ご
紹介します。

 音楽のエポックは、夏休み前にも一度ありました。これが二回目となり
ます。

 まずは体をほぐすことから始めます。首を曲げたり、伸ばしたり、肩を
回したりして、だんだん呼吸を深くしていきます。やがて、Ronnner先生
の微かなハミングの音が聞こえてきます。私たち生徒は、それに合わせ
て、それぞれ「ウー」とか「オー」とか適当な声で、音を重ねていきま
す。シュタイナー学校は総じてそうですが、実に教室の響きが心地よいで
す。コンクリート造りの教室にあるような嫌な残響がありません。高い天
井と使い込まれた木の床に反響して、みんなの声が十分に響き始めたと
き、「さあ、黒い子猫を抱いて、撫でよう」と先生が言い、(空想の)猫
を撫でながら、その動きに合わせた「よぉーし、よし」という感じの声を
出します。子猫から始まって、犬、羊、牛と大きくなっていきます。すで
にみんな慣れてきて、なりきって声を出しています。いや、でも、時々、
併設されている学校の生徒たちが授業の様子をのぞき込むこともあるので
すが、小さな子どもはたいてい爆笑しています。女の子なんかは、「なに
やってるんだか」と冷たい目線です。しかし、とにかく、目の前に牛とか
がいる感じでやります。

 次は「あーおーぅ」と高い音から下がります。「上顎から下は脱力し
て。あくびと同じ!」と言って、Ronnner先生が顎が外れた人みたいな顔
で歌います。私たちも真似をします。「あーおーぅ」。起点の音を少しず
つ下げながら、続けます。端的に言えば、音程の間隔をつかむインターバ
ルと、発声法の基礎です。

 「さて、君たちそれぞれが歌いながら手を動かした時、高い音と低い音
では、その動きはどうなるだろう。観察しながら、歌ってみよう」

 歌います。何人かが指名され、実際に歌いながら手を動かしてみます。

 「同じ高さの音でも、人によって、手の動かし方は違っているね。それ
ぞれの音について、どこで響いているのか、頭の上なのか、胸の前なの
か、それともお腹なのか。前後左右、高さ低さ、自分との距離、自分自身
の音の地図を意識して、もう一度歌ってみよう」

 歌います。なるほど、意識することでまったく違ってきます。平面的な
感じで、音の高低を考えていましたが、奥行きも含んで立体的に考える
と、より音のイメージが明確になるようです。さらに、このインターバル
は、実は歌の一部になっていて、何度も繰り返しているうちに、自然にメ
ロディーが身についていきます。

 メロディーが歌えるようになってくると、次の指示があります。「それ
ぞれの音のイメージを手で作ってみよう。今の音はどんな形をしてい
る?」と、メロディーを歌いながら、何もない空間に次々と音を「形
作って」いきます。みんなが作っている形を見ると、見事なまでにそれぞ
れが違っています。「手の動きの形は違うけれど、方向性としては似通っ
ている。共通するものがそこにある。」とRonner先生。

 さらに歌いながら、先生がクラスを半分に分け、歌い始めを少しずつず
らして、歌を重ねます。要するに輪唱です。グループをだんだん小さくし
ていって、最後は二人ずつになりました。続けて、「一人ずつ歌って見た
い人は?」と聞き、希望した6人で輪唱します。「一人ずつ歌ってみてど
うだった?」という質問があります。「やった! と、自分に誇りを持て
た」といって、自分の肩を叩いて見せた生徒の答えに拍手喝采が送られま
す。おそらく、ここから自分自身を知ること、自分に自信を持つことなど
を、音楽を通して、学ぶことができるということにもつながるのだろう
な、と考えたりもします。でも、先生は、おそらくあえてそれ以上説明し
ません。でも、何となく、雰囲気は感じられるのです。目には見えないも
のなのですが。

 「今、聞いたように、声はそれぞれに違う。君たちがクラスに入って、
生徒たちと歌うとき、いろんな声がある。でも、いろいろな声が混ざるこ
とで、おいしい(geschmeckt)響きになる。トマトに玉ねぎ、ズッキー
ニ。みんな一つの鍋(Eintopf)で煮込むんだ!」。このRonner先生は、
実にたとえがうまいです。アイントプフ(Eintopf)とは、文字通り
「Ein=ひとつの」+「鍋= Topf」ということですが、これはドイツの伝
統的な家庭料理です。とにかくたくさん野菜やら肉やら香草を大きな鍋に
放り込んで、とにかくぐつぐつ煮込むだけ。ドイツらしい、冬の料理で
す。

 もう一つ、前回のエポックで印象に残った、Ronner先生の言葉を紹介し
ます。

 「私はまだ教師ではないのです。日々、教師になっていく途中なので
す」

 この授業の最後には、「この授業で何をしたのか。そのことを通して、
何が変化したか。それはなぜか。これを授業の後、それぞれが振り返り、
熟考することが教授法を学ぶときに必須のことだ。」という言葉もありま
した。あくまでも、「教師として教室で使うための授業」なのです。

【実践的なカリキュラム】

 このゼミナールの教授たちは、みんな少なくとも10年以上、ほとんどの
人が20年以上、現場で教えてきた人たちです。だから、言うこともやるこ
とも、だいたいにおいて実践的です。

 たとえば、クラスで生徒の歌にピアノ伴奏をつけるための授業はこんな
感じです。まず音階(スケール)をやります。次に、C・F・G調で、和
音を転回させる練習をします。例えば「C=ド」の場合は、「ドミソ、ミ
ソド、ソドミ」という感じでピアノの鍵盤の端からは端まで弾きます。
で、これをテンポに合わせて、コード進行(例えば、1-4 7? 1-5-1)
させると、すでに伴奏になっているという具合です。

 また、「言語造形(Sprachgestaltung)」という授業では、文字通り
「声」を作ります。早口言葉のようなことをしたり、発声練習をしたりも
しますが、本質的には「実感を伴った声で話すこと」が目的になります。
ちょうど林竹二先生と竹内敏晴氏の実践、問題意識と共通していると私に
は思えます。

 たとえば、詩の朗読の練習は次のようなものです。まず、先生が音読し
ます。私たちは、音読される詩から思い浮かぶ自分のイメージの中を「散
歩」します。たとえば、「古い教会に私は入っていった」という部分で
は、それぞれが、イメージの中で「教会」に入っていくわけです。次にペ
アを作って、その「散歩」の中でどんなものが見えたかを互いに説明しま
す。私のイメージの中の「教会」は古くて、人が誰もいなかったりします
し、もう一人の「教会」には、日曜日のミサで村中の人が集まって、とて
もにぎやかであったりするわけです。こうして、「実感」を持った上で音
読すると、あきらかに説得力が違います。

 担当のHans先生の言葉も印象に残っています。それはこんなものです。

 「教師はいろいろな心配事や、調子の悪さがあっても、それは教室のド
アの外に置いてこなければなりません。教室に入った教師は、自身の持つ
創造性、知識、その他すべてを尽くして、生徒を教えるべきです」

 これも、ほんとうに説得力がありました。教師であることに勇気と誇り
がもらえる感じです。

【教師はどうあるべきか】

 さて、シュタイナーの理論を説明するよりも、それに基づいた実践を紹
介するほうが、何というか、目に見えないものが伝わるのではないかと思
い、そのようにしたわけですが。いかがでしょうか。私は11年間大阪の私
立高校で教えたのち、思い切って、新しいことを学ぼうとドイツに来たわ
けです。ですから、学校現場、生徒、保護者、職場の人間関係などが、常
に理想的な状態でないということも知っています。私の場合は、かなり恵
まれていたとは思いますが、それでも、「こうあってほしくないなあ」と
いうことは割と多いですよね。それほどでもないでしょうか? いや、そ
れはともかく。

 シュタイナーは、教師が時に直面するしんどい出来事、不愉快な出来事
について、こんなことを言っています。

 「皆さんが自分の行為だけに注意をはらおうとするなら、そして皆さん
の在り方に注意をはらおうとしないなら、決していい教育者になることは
できないでしょう(略)当の先生の教育経験が豊かであるかどうか、教師
としてのやり方が巧みであるかどうか、が問題なのではありません。
(略)教室に入っていく教師が常日頃どんな考えを持っているかによるの
です。(略)皆さんが自分の個人的な精神を排除して、そして教室に入っ
ていきますと、生徒と皆さんとの間に内的な力を通して一つの関係が作ら
れることになります。」(前掲書 14ページ)

 しかし、そもそも、生徒が騒ぎ回って授業が成立しないなど、表面的に
はまったく関係が作られていないように見えることもある。「けれども」
とシュタイナーは続けます。

 「けれども、今ここで学ぼうとしている考え方を通して、皆さんは内的
に強くなっていなければなりません。そして、自分が笑われたことを、全
然問題にしないようでなければなりません。それは、ちょうど皆さんが雨
傘を持たずに外出して、突然どしゃぶりの雨に遭ったときと似ています。
そのような現実に対して持つような態度で、皆さんは子どもに接しなけれ
ばならないのです。」(同 15ページ)

 ここで「突然どしゃぶりの雨」とありますが、今の季節、ここシュト
ゥットガルトでは建物が震えるほどの勢いで夕立が降ります。関係ないの
ですが、いや、あるかな。

 「普通は学校で子どもたちにはやしたてられることと、傘を持たずに外
出してどしゃぶりの雨に遭うこととをまったく別のことと考えています。
けれども、(略)そこに区別を設けず、子どもたちに笑われることを、ど
しゃぶりの雨に遭うのと同じように、そのまま受け取ることができるほど
までに十分に力強く、思想を深めていかなければならないのです。」
(同15・16ページ)

 引用をしましたが、どうも分かったような、そうでもないような気がし
ます。これは、教師は「雨降り」のようにどうすることもできない外的な
要因にいちいち腹を立てたり、嘆いたりせず、「成長過程をたどる子ども
(同15ページ)」とはどんな存在なのかと深く考え、理解することで、状
況に適切に対応できるということなのかな、と私は今のところ考えていま
す。

【おわりに】

 教師という仕事を(一旦)辞めて、ほんとうによかったなと思えたこと
があります。それは、逆説的ですが、辞めたことによって、自分がどれほ
ど教師として現場に立つことを求めているかがよく分かった、ということ
です。幸い、縁あって、昨年の11月より、ミュンヘンの日本語補習授業校
で中学1年生の担任として教えることができています。土曜日だけの現場
ですし、往復6時間かかるため、朝4時半に起きて、戻りは22時になりま
す。しかし、自分のクラスがあって、専門の国語に加えて、地理も教える
ことができますし、平日にゼミナールで学んだことも検証できるという環
境は、とても得がたいものです。

 ずいぶん前のことなので、正確な引用にはならないのですが、シュタイ
ナー教育の関連書を数多く翻訳されている入間カイ氏は、シュタイナーの
言葉として、こんなことを紹介しています。

 「学んだ理論は忘れてしまっていてもいい。しかし、そうやって学んだ
ことが、生徒と直面したある瞬間にふと現れることがある。それで十分な
のだ」

 もし、この原稿がきっかけでシュタイナー教育に興味を持ったかたは、
ぜひ下のリンクをご覧ください。その他、不明な点がありましたら、ぜひ
ご連絡ください。

Freie Hochschule Stuttgartへのリンク
http://www.freie-hochschule-stuttgart.de/

※ホーム画面左横の「International」というタブの中に日本語による紹
介もあります。

==================================================================
 私とシュタイナー教育との出会いは大学時代の親友が、北海道のシュタ
イナー教育の立ち上げに関わっていったこと、そして、若き日に傾倒した
鳥山敏子さんの実践群を通してでした。でも、当時の私には、いわゆるオ
ルタナティブな教育の価値、意味は、やはり今ほどもわかっていなかった
と白状するしかありません。ドイツの学びの現場で吉川さんが積み上げて
いる体験の一端をこうして読みながら、そこにある本質的な形・議論がこ
の国の教育の現状を見事に言い当てていると感嘆します。
 「私はまだ教師ではないのです。日々、教師になっていく途中なので
す」というRonner先生の言葉。そして、吉川さんの「教師という仕事を
(一旦)辞めて、ほんとうによかったなと思えたことがあります。それ
は、逆説的ですが、辞めたことによって、自分がどれほど教師として現場
に立つことを求めているかがよく分かった、ということです。」という言
葉に、強く心を動かされます。私も、この仕事を終え、様々な現場の見聞
をくぐった後、また実践の現場に戻りたいなと改めて思いました。
 次号は、お茶の水大学付属中学校の渡辺光輝さん。持続可能でしかも清
新な校内研修開発。そして教師教育を考える上で重要なフィールドである
教育実習と正面から向き合う先生です。
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メールマガジン「教師教育を考える会」
25号(読者数2528)2017年9月19日発行
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教師教育メールマガジン24号、木村彰宏さんです! - 2017.09.15 Fri

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メールマガジン「教師教育を考える会」24号
           2017年9月15日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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「自身の育ち」と「自分を超えていく学び手が育つ場」について考える
   株式会社LITALICOジュニア事業部ヒューマンリソースグループ
   NPO法人Teach For Japan採用・研修担当
木村 彰宏
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 第24号は、木村彰宏さんです。注目を集める二つの組織に籍を置きな
がら、新しい活動を広範に展開している注目の若手です。執筆予定陣の中
で最年少です。                    (石川 晋)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


【はじめに】

 現在、株式会社LITALICO(リタリコ)という会社で働き、採用や、発達に
偏りのある子どもたちの教育(療育)事業に関わる傍ら、認定NPO法人Teach
For Japanで採用・研修等に関わらせていただいております、木村と申し
ます。現在26歳で、恐らく今回のメルマガ執筆者の中では最年少ではない
かと思います。

株式会社LITALICO:http://litalico.co.jp
認定NPO法人Teach For Japan: http://teachforjapan.org

 錚々たる顔ぶれの皆さまが執筆される中、僭越ながらお声がけいただき
このような機会をいただきました。さて何を書こうか。自分に書ける「価
値」は何だろうか。小学校の教師を二年間しか経験していない自分が、教
師教育などと言葉にするのはおこがましいかもしれません。
 ですが、これまでの自分の原体験や、自分が関わる範囲の「子どもと関
わるおとなの育ち」に関するお話が、何か今後の教師教育のヒントになれ
ば、そのような想いで書かせていただきます。また、同世代の先生方、こ
れから先生になる方々に、自分が今考えていることを伝えられる機会とし
て活用させていただければと思います。

【自分は何者か】

 まず私が何者か、についてですが、先日取材をしてくださったEDUPEDIA
(エデュペディア)さんが壮大な記事にまとめてくださっているので、こち
らをお読みいただければ幸いです。
 https://edupedia.jp/article/5990fe95d5d12c00000f22fa

 かなり「良いように」まとめてくださったのと、私がかなり「見たいよ
うに」過去を見ている部分もあると思うのですが、自分が「今ここ」に至
るまでの「経験」に嘘はありませんので紹介させていただきました。

 私はそもそも教員養成系の大学で保育園・幼稚園・小学校の教員免許を
取得したのですが、大学を卒業してファーストキャリアとして、岩手県の
復興支援NPOを選びました。そこで働く中で感じた日本の教育への課題意
識を元に、NPO法人Teach For Japanが行う二年間の教師派遣プログラムを
通して奈良県で小学校の教師になりました。その後、小学校で担任として
働く中で感じた違和感や自分なりの思いを元に、一度学校を出て、現在は
株式会社LITALICOという会社で働いています。発達に偏りがある2歳頃か
ら18歳ごろまでの子ども達に、発語の授業やソーシャルスキルの授業、個
個の学びの特性にあった学習の授業などを行いながら、企業自体の採用業
務にも関わらせていただいている、といった感じです。また、自分が教師
になる為の「窓口」として選んだNPO法人Teach For Japanでも採用業務や、
学生・社会人の学びの場づくりを行っています。

【「体験と振り返りを通した学び」との出会い】

 「私個人がどう成長してきたか」という話をすると、大きな原体験は大
学時代に出会った「実践(体験)と振り返りを通した学びのプロセス」に帰
属します。教師が成長していく為に、「理論と実践の往還」が重要だとい
う話は有名ですが、今思えば自分の場合はそういった学び方の下地となっ
た経験として、様々なNPOでの活動が挙げられるように思います。

 例えばフィリピンのスモーキーマウンテンでゴミを拾いながら暮らして
いる子どもたちとの出会い、例えば一週間無人島で小学生の子どもたちと
キャンプをする中で経験した、「朝起きたら薪を拾う」作業からスタート
する生活、そして自分たちの世代の多くが「何かしなければ」と動いた東
日本大震災の復興支援ボランティア活動。

 これらの経験で共通するのは、一定期間、自分自身が「参加者(子ども
から大学生まで)の学びや気付きを促す場をつくる側の立場」として、そ
れぞれの活動に関わっていたことです。

 一つ、復興支援ボランティアでの体験を例にあげます。もちろん最初は
一人のボランティアとして東北へ足を運んでいたのですが、途中からボラ
ンティアをしたいと東北へ訪れる学生たちの学びの場の支援に関わらせて
いただくようになりました。

 被災者(あえてこの言葉を使います)の皆さんの心に寄り添い心身のケア
を図る「ソフト面」の支援において、「小手先の方法論」なんて存在しま
せん。100人いれば100人がストーリーを持って被災地という場所にいらっ
しゃる、そんな一人ひとりに対して「こう関わればあの人たちは幸せにな
れる」といった小手先の方法論なんてあるはずがありません。だからこ
そ、ボランティアに参加した大学生たちは、一人ひとりと向き合う中で、
様々なアプローチを試み、失敗を重ね、共に参加する大学生と振り返って
本質的な課題はなんなのかと自分の頭で考え、仮説を立ててアプローチを
計画し、翌日の活動に臨みます。そんな時間を通して、被災地支援に参加
した大学生が変化(成長)していく様子を何度も目にしました。

 そんな「ボランティアをする側も学びを得て変化していく場」をつくる
中で、「体験とその振り返りを通した学びが人を圧倒的に成長させる」の
だと学びました。

 この「実践と振り返りを通した学びのプロセス」が、「自分の学び方」
そして自分が「学びの場をつくる」上での土台となりました。

 教員時代においても、課題が生じた際に小手先の方法論ばかりを求める
のではなく、振り返りを通して本質を捉え、どう自身を変化させていくか
を探求することができたのは(教員としてできていなかったことだらけで
あることは自負しています)、この土台があったからだと思います。

 ただ、そもそも多動性衝動性が強い私は、よく「初動」でミスをしま
す。(笑) そんな私にとっては、なおさら、「体験から振り返る」という
学び方が合っているのかもしれません。少し話は逸れますが、「自身の学
び方の癖」を自覚しているということも成長スピードに関わってくるよう
に思います。

【NPO法人Teach For Japanフェローの強みとは
          ?ビジョンを持つことの意味?】

 現在企業の採用や、NPOでの採用活動を通して、教育に興味がある学生
の方々と関わる機会が多くあります。ただ、有名な大学に通っていても
「いい子」だということは良く伝わってきても「明確なビジョン」がない
方がとても多いと感じます。

 「なんとなく良いと思う」会社で就職活動をして、「なんとなく」教育
に関わりたい、そんな学生がとても多いのです。ここでは、それ自体が悪
いと言いたい訳ではありません。というよりは、「ビジョンをもつ」とい
うことは、軸となる原体験を元に考えながら築き上げる、時間がかかる営
みなのだと再度考えさせられているといった感じです。

 何か強烈な原体験を持っていて、若いうちから自分の成すべきことを模
索し、そこを見据えて社会の入り口に立つ・教員になる学生はほんの一部
で、社会の入り口に「立たなければいけない」時が来た際に、明確なビ
ジョンを持って教員になれるかというと、大方の場合、難しいのではない
かと思います。もちろん、実際に働き出してから模索していけば良いもの
かもしれませんし、明確なビジョンを持っているから偉いという訳ではな
いと思います。

 しかし、あくまで個人的な感覚ですが「なんとなく」教員になった先生
と、自分なりの明確なビジョンを持った先生方とでの「成長スピード」の
違いについては雲泥の差があると感じています。これについては現在も関
わっているNPO法人Teach For Japanの活動を通してお話したいと思いま
す。

 NPO法人Teach For Japan(以後TFJ)では、教育に想いのある学生・社会
人を独自に選考・採用して二年間、契約を結んだ自治体の教員(常勤講師)
として派遣するプログラムを実施しています。このプログラムについては
教育関係者の中でも賛否両論あると思います。

 しかし、全国各地で講師も不足している現状の中、TFJに講師派遣を依
頼してくださる自治体が増えてきているのも事実です。また、「一年目教
員の学級崩壊率を考えると、TFJの先生方はやはり優秀だ」という表現を
される管理職がいらっしゃったり、「国内外の様々な企業で働いた経験の
ある方々が学校に入ってくださることは教職員コミュニティや子どもたち
の視野を広げるきっかけになります」と継続した派遣を要請してくださっ
たりする自治体もあります。

 このプログラムがどうすれば学校や地域に根ざした「より良い」ものに
なっていくか、という議論については、ぜひまた別の機会にご助言いただ
きたいのですが、ここでは、私なりに継続して見てきたTFJから派遣され
る先生方の「強み」に目を当てて教師の育ちについて考えたいと思いま
す。

 TFJを通して教師になる人には、多様な職歴を持つ者が多いです。例え
ばプロのサッカー選手、例えば国境なき医師団職員、例えば国際NGO職員、
大手企業社員、 NPO職員、、などなど。そんな「職歴」を持った方が現場
に入る、という部分にこのプログラムの面白さを感じる方も多いです。

 また、そんな職歴や学歴にも付随して多様なスキルを持つ者も多いで
す。しかし、これらは正直「おまけ」のようなものでしかないと捉えてい
ます。それよりも、自分が継続してこの団体と関わってきて感じる、TFJ
の教師の多くが持っていて、なおかつ教師としての育ちを加速させている
ものは、以下の三つではないかと考えます。

1 ビジョン
2 コミュニティ
3 多様な経験

 簡単にこの三つについて説明します。

1 教育を通して自分が成し遂げたい明確なビジョンを持っている
2 外部にビジョンを再確認、再構築したり、日々を振り返ったりエンパ
ワメントされるコミュニティがある
3 学級や学校内での事象を過度に一般化せずに、多様な視点で振り返る
ことのできる材料としての経験を持っている

 上記の3つを持っているからこそ、自身の実践についても振り返る基準
ができ、ビジョンも再構築しながら教師として日々成長していけるのかと
思います。

 私自身、教員派遣プログラム開始から二年目にこの団体を通して奈良県
で教師になりましたが、教室で子どもたちと向き合う時間と同じぐらい、
同じくこのプログラムを通して奈良で教師をしていた仲間との振り返りの
時間が有意義であったことを覚えています。

 私の場合は「多様なニーズを抱えた子どもたちが安心して学べる教室を
つくりたい」というビジョンがありました。(実は今の会社に入社を決め
たきっかけの一つでもあります)

 そんな自分なりのビジョンがあったからこそ、振り返る視点や改善の方
向性が明確化され、次の行動を取りやすかったです。さらに、目的が明確
だったからこそ、失敗をおそれずに学び続けることができました。

 TFJは「2年間教師を派遣する」というシステムこそ決まっているもの
の、何か特定の教育観や教育方法を推奨し、メソッドを限定しようとする
団体ではありません。だからこそ教師の育ちにも、多様性が担保されてい
て面白いと考えています。

 個人的には、TFJは日本の教育へアクセスする「一つの窓口」でしかな
いと捉えているので、今後様々な方に弊団体へお力添えいただき、みんな
でこのプログラムの価値について考えることができれば嬉しいです。

 TFJのプログラムが、今後日本の教師教育にどのような形で貢献できる
のか、その可能性を模索しながら、私も学び続けたいと思います。

【教師を目指す学生や社会人の多様な学びの場について】


 「障害のない社会をつくる」というビジョンを掲げた株式会社
LITALICO(現在の私の本職)の、特に新卒には「教員か教育系の企業かで
迷ってLITALICO(以後リタリコ)に来ました」という方が多くいます。教育
に対してアプローチしたいが、教員としてではない方法で、という若者が
一定数、うちの会社に集まってきています。「教育について学んでいた優
秀な(優秀の定義についてはそれぞれの感覚にお任せします)層の学生が教
員にならない問題」の一端を担っているのではないでしょうか。(笑)ま
た、中途採用の方々の中にも、元教員という方が多いです。そういった方
方が多く配属される事業の一つが「リタリコジュニア」です。

 「リタリコジュニア」では、発達に偏りがあるお子様への療育事業を
行っています。2歳ごろから18歳ごろまでのお子さんが通っていらっしゃ
り、発語の授業からソーシャルスキルの授業、個々の学びの特性に応じた
学習の授業等が行われています。現在関東関西に76拠点存在し(2017年3
月時点)、8000人以上の子どもたちが通っています。

 リタリコに入社し、リタリコジュニアの事業に参画してみて改めて感じ
る素晴らしさは、発達に偏りのある子どもたち一人ひとりと丁寧に向き合
う為に、体系化された理論を元に育成を行っている点です。もちろん理論
だけを知っているからと言って子どもたちに対して「良い教育」を実践で
きるとは考えていません。しかし、あの人だからできるという「カリスマ
教師の教育」で終わらさず、誰しもが汎用可能なアプローチにしていくた
めに、その土台としてやはり共通の理論を知っていることは重要ではない
でしょうか。現在では特別支援教育に関わる多くの先生方や自治体などか
らも研修依頼をいただく程です。決してこのメルマガでリタリコの自慢を
したい訳ではなく、「教師教育」という視点からうちの会社を見た際に、
リタリコジュニアが持っているノウハウは大きな価値だと考えています。

 リタリコジュニアでは、教員志望や、教育に興味関心のある学生さんが
多く非常勤として働かれています。常勤の方の中にも、リタリコの指導員
から教員になる方が多くいらっしゃいます。また、実際にリタリコジュニ
アのアルバイトを経て、教員採用試験に合格し現在教師をしている方も多
くいらっしゃいます。

 このように、例えば教員を目指す学生の皆さんがリタリコジュニアで非
常勤として働いて、発達に偏りがある子どもたちに対するアプローチの実
践を積んでから教員になっていくような流れが今にも増して広まっていく
と面白いと考えています。

 さらに言えば、うちのような会社から「数年教員に戻る、また数年会社
に戻る」と言った、ある意味での学校と社会の往還モデルが生まれれば、
教員の働き方がもっと多様なものとなり、学校と社会との間にまだまだ存
在すると言われている「壁のようなもの」を取り払えるのではないでしょ
うか。

 また、例えばNPO法人Learning For All さん 
 http://learningforall.or.jp
のように、現在様々な団体が、様々な課題を抱える子ども達に対する学習
支援などアプローチの機会を創出しています。「学習支援」と「人材育
成」をコンセプトとするこの団体では、大学生が学習支援の前後にトータ
ル50時間もの研修を受けて活動します。学習支援が始まる前に20時間、中
間研修が20時間ほど、そして振り返りに10時間です。この活動の面白いと
ころは、3ヶ月、毎週末に小学生や中学生に学習支援を行う「学生教師」
を経験した方で、希望する方は次のステップとして、新たに学習支援に参
加する学生教師の「フィードバッカー(指導計画の事前レビューや第三者
目線で毎指導毎にフィードバックを行うスタッフのこと)」になれるとい
うところです。要は「教師教育」をする立場に回るということです。

 「指導スキルに関してフィードバックをしても教師の行動は変わらない
ので、各教師に合ったコミュニケーションの取り方や伝え方を考えさせら
れた。」

 実際にこのプログラムを学生教師、そしてフィードバッカー側として数
年経験し、現在は大手人材系の企業で働くある女性の言葉です。この言葉
から、教師教育に関わる人間が考えさせられることは多いのではないで
しょうか。

 最近では、教員を目指している学生がこういった場に関わっている、と
いう話もよく聞きます。「学生生活4年間を全て教師としての成長の為に
投資しろ」というつもりは毛頭ないですが、このような機会を通して「ス
キル」ではなく、「実践を通した学びと振り返りのプロセス」を身につけ
た学生さんが一定数教員になっていく、という流れについては大きな希望
を持てるのではないかと考えています。

 リタリコジュニアや、様々なNPOなど、まだまだ都市部に集中してはい
ますが、今後そのような活動を通して各組織が得た「ノウハウ」が、横展
開され、地方のニーズに合わせて学習支援の場などが創出され、そこに関
わった各地方の大学生がその地の教師になっていく…と、個人的にな妄想
は膨らむばかりです。

【自身の育ちと自分を超えていく学び手の育成の為に】

 このメルマガを書いている今(9月10日15時現在)も、Teach For Japanの
事務所では一般企業や学校での勤務経歴をお持ちのプロのコーチをお呼び
した、教員向けのコーチングイベントが開催されています。

 更に来月には、インプロ(即興表現)を持ちいた関係構築ワークショップ
https://www.facebook.com/events/471814633187155/ の開催が決定して
います。

 自分がこのような場づくりを行う目的は2つあります。

1誰もが参加できる学び直しの場をつくること
2多様な教育観・職業の方と出会いつながり、教育に関わる方々が視野を
広げるきっかけの場をつくること

 本当の意味での「多様性が担保された場」とはどのような場所でしょう
か。教師をやっている時、様々な先生方の講演会に参加をして、確かにベ
テランの先生方から学ぶことは非常に多かったのですが、一方で時として
感じた違和感はそのに集まる方々の「同質性」についてでした。

 「自分とは全く価値観や考え方が異なる場、人」に出会うからこそ、自
分が所属するコミュニティや、今の立ち位置を相対化し、俯瞰して自己を
見つめ、バランス感覚を取りながら教育と関わることができるのではない
でしょうか。

 先日、TFJを通して教員になり、今も小学校で働かれている一人の仲間
(オリンピック出場選手を育てた経験もある、元プロコーチ)が、「教師を
超える子どもの育成を。これはコーチングの世界では当たり前のこと」と
おっしゃっていました。

 「ティーチング」はできる人からできない人、知っている人から知らな
い人に行う営みです。例えばイチロー選手に「バッティングのコツを教え
る」ことができる人はもうこの世の中にあまりいないのではないのでしょ
うか。(笑)

 一方、コーチングは「相手の中から引き出す」営みであり(イチロー選
手にコーチングを行うことは可能ですよね)、プロのコーチにとっては、
クライアントが「自分よりも凄い人になっていく」ことこそが喜びだとの
ことです。

 この仲間の一言は、教育に関わる分野の人間にとって本質的なミッショ
ンではないかと考えさせられました。これからの時代を生きて行く子ども
たちが、「自分を超える存在になっていく」こと自体を喜べないという教
育関係者などいるはずないと思います。

 では、自分がつくる学びの場(学校、学級、教室、コミュニティ)は本当
に自分を超えていく学び手が育つ場所になっているでしょうか。

 月並みな言葉かもしれませんが、教員を目指している学生の皆さん、ま
た同世代の若い教員の皆さんにこそ、是非「多様な仕事や働き方、多様な
おとな」に出会える経験を持って欲しいと思います。

 これだけ価値観も働き方も多様化した現代を生きていく子どもと向き合
う際に、その子たちのロールモデルとして「多様な仕事、働き方、多様な
おとな」を知っているからこそ、教室や、自分が向き合う場所で出会う子
どもたちの多様性を認め、可能性を心から信じて後押しすることができる
のではないでしょうか。

 私も若輩者ながら、自分たちの世代を超えていく子どもを育む為に、
「学校」という枠を超えて、教育に関わる多くの人が手を取り合えるよ
う、模索していきたいと思います。

 今の自分の等身大の言葉を綴らせていただきました。もし今回のメルマ
ガをお読みいただき、ご意見ご感想ある方は、是非Facebookを通して交流
させていただければ嬉しいです。なお、申請いただく際には一言メッセー
ジをいただけますと幸いです。
 https://www.facebook.com/akihiro.kimura.54

 最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

==================================================================
 猛烈に「今」を書いていただけて、とてもうれしかったです。「教育」
「教師教育」への新しい関わり方のモデルがたくさん出てきています。私
はその一つずつを精査できる技量は持っていません。が、できるだけたく
さんの新しいモデルを知り、その可能性を一緒に考えてみたいと思ってい
ます。
 次号は、吉川岳彦さん(シュトゥットガルト自由大学 修士課程クラス
担任及び専科教員コース)です。シュタイナー教育を学ぶために、ドイツ
・シュトゥットガルトにわたり研鑽を積む元高校教師の現地からの報告で
す。
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石川晋

Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
ぼくにできそうなことは、どんどんお受けしますので、遠慮なくお知らせください。FBのメッセンジャーが一番確実です!

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