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2018-02

2月前半を振り返る・・・”見よ、飛行機の高く飛べるを”の感想も少し - 2018.02.17 Sat

 今年度は初夏以降、ほとんど自分の動向を書いてこなかった。
 2月の前半を書き残しておくことで、毎月の様子を、ここを読んでくださっている方々にも伝わるようにしてみようかなと思う。

 1月末は関西で複数の現場に入っていた。
 その後、2月2日に北九州入り。3日は授業づくりネットワーク北九州集会。4日は授業づくりネットワーク理事長訪問in鹿児島。5日は小金井市立前原小学校で授業案検討。9日は国立市立国立第一中学校で授業参観。その後午後から御茶ノ水で次号の授業づくりネットワーク誌のための岩瀬直樹さんとの公開対談。その後懇親会を経て、場所を移して、某所で某官庁キャリアと少しだけ懇親。10日は品川区立日野学園に年間で継続的に入った2年生の学習発表(読み聞かせ・読書活動・群読などを組み合わせた素敵なステージ!)参観、午後はTeach For Japanの新規フェローの支援。13日は立川で青年の就労を支援するNPOとの顔合わせ。そして16日が小金市立前原小学校の校内研修支援。
 こうした日程の合間に、北海道に行ったり、オーケストラを聴いたり、美術館を観たり、芝居を観たり。

 ずうっとこうした日常を続けている。

 いくつか見たものの中で、一番強い印象が残ったのは、14日の夜に、池袋のシアターグリーンBox in Boxで観た劇団ことのはBOX”見よ、飛行機の高く飛べるを”。

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 ぼくは同名の一節を含む石川啄木の詩がとても好きということもあり、初日に見た。今をときめくはるかぜちゃんが客演しての芝居だが、これは、心が動かされた。闇夜の明治女子たちの語らいの場面などでの春名風花の朗読が、さすが声優としての腕を見せて、素晴らしい。このための春名の起用なんだなという起用の必然性もうかがえた。 
 何よりも、本がいい。明治の若き女性たちの生き方を描きながら、まさに「今」を描く本なのである。「学校」で長く「暮らしてきた」ぼくには、胸が痛くなるほどの場面が、刺さってくる言葉が、次々と。また、女教師役の新田えみは圧倒的な演技だった。
 難点を言うと、ワンセットで通される中で、場面をつなぐ仕掛けとしての音楽が重要なわけだが、これがどうにもいただけない。ここ、ちょっと残念だ。

 

2018.2.17小金井市立前原小学校の校内研修をデザイン&ファシリテーションする - 2018.02.17 Sat

 小金井市立前原小学校の校内研修の講師として、2月17日、学校へ向かう。

 今回は研究主任でもある蓑手さんの授業。小学校6年生<総合的な学習の時間におけるプログラミング授業を通して・・・単元「ロボット(AI)ってなに?」>というテーマで、ロボホンのAI思考を探究する授業。授業検討の段階から高学年団の打ち合わせに入れていただいた。
 当日の大まかな流れは下記の通り。実際には現場で大きく変わったので、備忘録程度に。

13:30~14:15 6年1組で研究授業
14:15~14:25 けやきルームへ移動
14:25~14:30 ヒット&ブローゲームのルールを掲示物で確認
14:30 簡単なご挨拶
14:35 ~ 14:50 テーブルごとによる授業の振り返り
14:50 ~ 15:10 再現授業
15:10 ~ 15:25 再現を通して感じていたことを、話し合う
15:25 ~ 15:45 私と蓑手さんと学校長による鼎談
15:45 ~ 15:50 各自で自分の授業改善の方向を考える SchoolTact活用

 今回の肝は、蓑手さんが、写真のように4時間の中で、子どもたちが、スクラッチ「も」使いながら、トランプを使ったり、紙ベースで考えたり、ヒット&ブローゲームの構造を体験的に考える中で、課題に迫っていくという『学び合い』の構造の授業にチャレンジしたことである。

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 先生方には、検討会で、その授業を授業者によって再現体験していただき、それから学習者としての実感を話し合っていただく。そして、授業者と学校長である松田孝さんと私との鼎談で、前原が目指す授業の形についてバチバチ話し合うという流れだった。
 渡辺貴裕さん&岩瀬直樹さんの対話型模擬授業検討に学び、自分の得意でもある対話の力に委ねてみる形での研修デザインだった。

 前原小の訪問は通年で6回。
ぼくの仕事は、校内研修のデザインとファシリテーションである。先生方とも濃密な時間を過ごすことができた。外から入ってくるぼくを、丁寧に迎え入れ、ぼくの提案をしっかり受け止めてチャレンジしてくれる素敵な学校だった。
 最後の鼎談は、個別化・個性化の問題に代表される授業像のこと、プログラミング教育が目指すもの、評価の問題などをバシバシと話し合った。普段は研修部内や学校長を交えた数名の人間の中で話されがちな、少し難しいが全校の先生で考えておきたい話を、公の場で話す。オープンソース化は、大切なキーワードであると思う。これもチャレンジだったが、年度の最終の訪問ということも考え合わせると、とても意味のあることだった。懇親会でのみなさんとの話や、帰りの電車での蓑手さんとのやり取りの中で、感じることができたことだった。

 今年一年方々で校内研修支援をしてきた。
 書き残していく意味を、少しずつ自分でも感じ始めている。


教師教育メールマガジン66号、渡辺貴裕さんです! - 2018.02.17 Sat


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メールマガジン「教師教育を考える会」66号
           2018年2月16日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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演劇的手法と教師教育とを架橋する実践的研究/研究的実践
 東京学芸大学教職大学院准教授、学びの空間研究会主宰
     渡辺 貴裕
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 66号は、渡辺貴裕さん(東京学芸大学教職大学院准教授)
です。対話型模擬授業検討会、演劇的手法を生かした授業改善
など、注目の提案を続ける実践的研究者です。  (石川 晋)
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 私は、演劇的手法を用いた学習を専門とし、日本やイギリス
での理論と実践の蓄積をもとに研究を進めてきました。教師や
演劇関係者向けの各種ワークショップなどの実践も行ってきて
います。一方、教師教育の分野でも、「対話型模擬授業検討会」
の取り組みなど、実践的研究を行って発信してきています。
 しばしば尋ねられる問いがあります。「なんで違う分野のこ
とをやってるんですか?」、「自分のなかでどんなふうに折り
合いを付けてるんですか?」。
 私のなかでこの2つは、別個のものという捉えではありませ
ん。また、単に「教師が授業で演劇的手法を使えるようにする」、
あるいは、「教員養成や教員研修を演劇的手法を用いて行う」
といった結びつきにとどまるものでもありません(それらはそ
れらで大事だと思いますが)。むしろ、その核となるアイデア
の部分で、両者は私にとってより内在的な結びつきをもったも
のです。今回はそれについてお話ししたいと思います。

 演劇的手法の活用に関する私の関心は、従来言語的なやりと
りが中心であった学校での学びを、身体の感覚と空間の力を
使ったもの、想像力が働くものへと変えていく点にあります。
演劇そのものの学校教育における普及といった点にあるわけ
ではありません。
 その際私が大事にしてきた発想は、頭で先に考えておいてそ
れをやってみせるのではなく、やってみて感じること(架空の
世界の中で動いてみて感じられること)を大事にしよう、とい
うものです。従来の「動作化」や「劇化」では、あらかじめ登
場人物の心情なり状況なりを解釈しておいて、表現の工夫を考
えてみて、それを実施するという流れがとられることが一般的
でした。その場合、身体は動かす対象となり、身体が動き身体
で感じるという側面がおろそかになりがちになります。けれど
も本来は、身体は、空間や他者とのかかわりのなかで、そこで
実際には生じていない架空の出来事を生み出しそれを実際に起
きているかのように経験できる力を持っています(例えば、架
空の縄で大縄まわしをする「エアなわとび」などするとこのこ
とがよく分かります)。日本の鳥山敏子氏の「なってみる」の
実践にせよイギリスのドラマ教育のさまざまな蓄積にせよ、身
体のこうした力に依拠し、架空の世界の中でふるまって感じる
ということを大事にしてきました。これをふまえ、私は、「動
いてみることによる気づき」や「表現と理解の相互循環」を可
能にするための演劇的手法の発想やそのための仕掛けについて
探究してきました。

 一方、教師教育において、私は、教師や教師を目指す学生が、
実践を仲間と共に生み出したり実践を振り返ってそこから学ん
だりする機会をどのようにして充実していけるかという課題に
取り組んできました。学校での授業検討会でも大学での模擬授
業検討会でも、そこでのやりとりは、しばしば、参加者がもと
もともっている授業や教材に対する考え方のぶつけ合い(持論
の応酬)になりがちです。「○○というやり方はよくないと思
う。なぜかというと、…」、「いや、こういうやり方はこれこ
れの観点から必要なのであって…」、「この教材では○○を教
えるべき」、「いや、この教材ではやはり…」といった具合で
す。ここでは、実際にその場で起きたことを大事にするという
発想が欠けています。また、状況の中に入り込まず外から三人
称的スタンスで述べる形になっており、それは、助言する─さ
れる、評価する─されるといった、授業者とそれ以外の参加者
との非対称的な関係も招きます。せっかくその場でしか起きな
いことがそこで起きているのに、また、人間にはそれを自分の
身体でもって感じる力をもっているのに、もったいない話です。

 こうした状況を変えていくべく、私は、授業の検討会の改革
に取り組んできました。例えば、2013年度の途中から着任した
東京学芸大学教職大学院では、その後のカリキュラム改革の取
り組みのなかで、同僚の先生方と共に「対話型模擬授業検討会」
を生み出してきました。これは、学生が行った模擬授業を互い
に評価したり拙速に改善策を提案したりするのではなく、授業
者あるいは学習者としてその授業のなかで感じたり考えたりし
たことを出し合い、出来事の意味を掘り下げて、さまざまな可
能性を考えていくものです。(理論的には、オランダの教師教
育学者コルトハーヘンのALACTモデルが一つの土台となっ
ています。この取り組みの詳細については、渡辺貴裕、岩瀬直
樹「より深い省察の促進を目指す対話型模擬授業検討会を軸と
した教師教育の取り組み」『日本教師教育学会年報』第26号、
2017年9月、136-146頁を参照してください。)

 また、学校現場でも、教師が自分の感覚を大事にし、起きた
出来事とそこで感じられたことのフラットな関係での交流を大
事にするような、授業前あるいは授業後の検討会に取り組んで
きました。
 例えば、事前の検討会の場合、授業者が用意してきた指導案
を前に「ああすればよい」「こうすればよい」を言い合うので
はなく、子どもが行うことになる学習活動を部分的にでもその
場で一緒にやってみて、そこでの心の動きや頭の働き方を互い
に出し合って、教材や展開について考えたり作りかえたりして
いきます。また、事後の検討会の場合、授業で起きた出来事
(特に子どもの姿)を見取ることを大事にするのはもちろんで
すが、それに加えて、学習活動のプチ体験を入れたりします
(例えば、授業の中で子どもたちがペアで「インタビューゲー
ム」をしていたのなら、それを参観の教師たちも体験してみる)。
そこでの自分たちの心の動きや頭の働き方をも手がかりにしな
がら、授業について考えていきます。
 教師が子どもの学習活動を自ら体験してみるというと、子ど
もじみたこと、「お遊び」的なことと(これらの表現もヘンな
感じですが)と思われるかもしれませんが、これまで実際に小
学校から高校までさまざまな学校で試してきた経験からすると、
これのインパクトはなかなか強力です。検討会での教師間のや
りとりのありようが変わります。以前だと「これはやっぱり最
後○○にもっていかないと」など対立的なコミュニケーション
になってしまっていたのが、「自分でやってみたら○○と感じ
て、もしかすると授業中の子どもも、○○だったのかも」、
「私は○○に気付いたんだけど、…」などと、対話的なコミュ
ニケーションになったりします。これは、同時に、授業を第三
者的に評価したり改善策を出したりするのではなく、また、誰
か偉い先生が言っていたり上から指示されたりしていることに
ただ従って授業をつくったりするのではなく、自らの学び手と
しての感覚(「学び手感覚」)を活性化させながら授業につい
て考えていく立ち位置への変化をももたらすことになります。

 授業の検討会におけるこうした試みで大事にしてきた発想は、
演劇的手法のほうで大事にしていたものと共通しています。第
三者的に外から眺めるのではなく状況の内に入り込み、そこで
起きることを大事にすること、自分の感覚を働かせて感じたり
考えたりして、その交流から気付きを得ることなどです。私に
とっての、演劇的手法と教師教育との内在的な結びつきです。

 私が研究協力者として関わってきた京都府八幡市立美濃山小
学校における、授業における演劇的手法の活用への全校での取
り組み(平成29、30年度京都府教育委員会「学力向上システム
開発校」指定 :「表現活動を取り入れた主体的・対話的な授
業の創造 ~表現しながら理解を深める学習者を育てる~」)
では、演劇的手法と教師教育という2つのテーマを統合的に追
究してきました。研究主任として同校の校内研究を率いるのは、
私の古くからの研究仲間でもある藤原由香里先生です。

 同校の先生方は、それぞれの教室で演劇的手法の活用に取り
組まれるわけですが、「こういう手順で授業を進めましょう」
という固定的な型があるわけではなく、またそれの開発を目指
しているわけでもありません。「ホットシーティング」「静止
画」「心の声」など演劇的手法の各種技法に学びながらも、そ
れを機械的に適用するのではなく、授業の事前検討会では先生
方が実際にその活動をやってみること、事後検討会でも授業で
子どもたちが行っていた活動を部分的にでも体験してみること
を大事にして、何が目の前の子どもたちにとって良いやり方か
を考えていきます。こうした取り組みを続けてきた結果、今で
は先生方の間で「やってみないとわからんね」が合い言葉に
なっていると藤原先生は言います。
 このように、状況の中に入って動いてみる、そこで感じたり
考えたりすることを大事にするといった、子どもたちに対して
求める学び方を教師自らが実践しています。こうした「同型性」
が同校の取り組みをダイナミックなものにしており、そこで原
理として機能しているのが、本稿で見てきたような演劇的手法
と教師教育との共通要素です。

 先日1月31日に開かれた同校の公開研究発表会はとても興
味深いものでした。低中高3クラスの授業公開もそれぞれ面白
いものでしたが、とりわけ特徴的だったのは全体会の運営。研
究の概要を紹介する「研究発表」は、研究主任が一人でプレゼ
ンソフトを使って説明していくといった形ではなく、教員総出
での寸劇入り。演劇的手法の技法を実演したり、研究を進める
なかで起きた出来事の再現シーンを演じたりしました。外部講
師(私でしたが…)の講演も、いわゆる講演ではなく、参加者
が実際に「ホットシーティング」などの技法を体験してそこで
感じたことを出し合うワークショップ的な活動を交えて。また、
全体会の最後には、100名ほどの参加者が小グループに分かれ
そこに美濃山小の先生方が分かれて入って、小グループ内で美
濃山小の先生への「インタビュータイム」。「研究に乗り気
じゃない人とかはいなかったんですか」など、参加者が気にな
る点を自由に質問し、美濃山小の先生がそれに答えるというも
の。一部のメンバーが研究概要を参加者に向けて発信するとい
う形ではなく、教師全員が参加者と双方向的に校内研究の取り
組みについて語り合うというスタイルです。やってみてそこで
起きたことを大事にすること、感じたことや考えたことをフ
ラットな関係でざっくばらんに出し合うことといった原理がこ
こでも貫徹されています。
 授業の改革(子どもの学び)、校内研修の改革(その学校の
教師の学び)、研究発表会の改革(学校を越えた教師の学び)
が連動するものであること、この三者は同じ原理で貫かれるべ
きものであって、むしろ、これらが連動していなければ改革は
なしえないことを私自身あらためて感じさせられる一件でした。
「全てがはじめての研究発表会でした」(ある来場者のコメン
ト)など反響が大きかったこの美濃山小での取り組み。詳細は、
藤原先生が担当予定の本メルマガ3月27日発刊号でも触れら
れる見通しです。

 演劇的手法というテーマと教師教育というテーマが私のなか
でどのようにつながっているかについてお話ししていたら、話
が大きくなってきました。私にとってこうしたつながりは決し
て最初から見えていたわけではなく、演劇的手法にも教師教育
にもそれぞれ目の前のことに取り組んでいたらそのつながりが
見えてきた、さらに最近ではその射程が実践的にも授業改革は
もちろん学校内あるいは学校を越えた教師コミュニティの変革
にも及ぶことが見えてきた、というのが正直なところです。
 とはいえ、私にとって、研究と実践はもとより切り離せない
ものではありました(言語的なやりとりにとどまらない身体感
覚や想像力の発揮が学びにおいて重要であるということを、私
自身が先生方に対して言語的な発信でしか伝えられないとした
ら、滑稽でしょう)。「研究的実践者」や「実践的研究者」は
単に「論文も書ける実践者」「授業もうまい研究者」といった
ことではなく、社会変革者として捉えられるべきものです。私
自身そうした存在たりえるよう、演劇的手法と教師教育という
2つのテーマを架橋しながら、これからも研究的実践/実践的
研究に取り組んでいきたいと考えています。
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 渡辺さん、大変丁寧な報告をありがとうございました。私も
美濃山小学校の研究会に参加していましたが、演劇的手法を生
かした実践と、研究発表及び講演の「同型性」も体験として理
解でき、大変おもしろい、体と心を揺さぶられる研究会でした。
 鳥山敏子実践の紹介がありましたが、『時代を拓いた教師た
ち〈2〉実践から教育を問い直す』(2009,田中耕治編著、日本
標準)の中で、鳥山実践を解説する項も渡辺さんご執筆だった
ことに改めて気が付き、渡辺さんの取り組みのここまでの流れ
の一端も、少し見せていただけたように思いました。鳥山敏子
のスイミー実践のような、いわば「なってみる」子どもの学び
に、新任の頃強烈に憧れました。その実践と教員研修における
演劇的手法が地続きであることも見えてきて、一人、納得して
いるところです。
 実は今年度は、美濃山小学校だけでなく、他にも渡辺さんの
現場にいくつか同行させていただき、研修に参加させていただ
きました。また私が校内研修デザインとファシリテーションを
依頼されている現場に同行いただいて、いろいろな観点からの
話をいただきました。早速、いくつかの研修の場に、見よう見
まねで、演劇的手法の活用を図っているわけですが、そうした
中での気づきを、また丁寧に対話させていただく機会があると
うれしいです。

 次回、2月20日火曜日、池田修さん(京都橘大学発達教育
学部児童教育学科教授/明日の教室代表)。都内の中学校での
ディベート実践で広く知られ、和田中を経て、関西ですぐれた
現場人を育て続ける方、です。

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メールマガジン「教師教育を考える会」
66号(読者数2628)2018年2月16日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
登録・解除 http://www.mag2.com/m/0000158144.html
(まぐまぐ:教師教育を考える会)
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校内研修を支援する・・・ぼくの日常のこと - 2018.02.16 Fri

 2017年度、ぼくは、4,5月から徐々に、やがて結構なハイペースで、日本各地の学校に、入った。
 いろんな関わり方があるのだが、そのうちの一つが、校内研修のデザインとそのファシリテーションである。
 授業者の強みに焦点が当たること、参加者が学習者としての体験・視点をベースに授業を考えていけること、継続的に職員たち自身が互いの強みを生かしながら研修を進めていくマインド・手立てを共有すること…そうしたことを考えながら、それぞれの学校に入らせていただいてきた。手ごたえは感じているが、いまだ、試行錯誤の真ん中にいるという感じだ。
 もう少し詳しく書くと、ぼくの「校内研修」への入り方は、おおむね4つのパターンがあった。

①招聘された教室を観て、担任(担当)の先生と振り返りをする。
②招聘された教室で子どもたちに授業をする。
③校内研修の講師として授業づくりや学級づくりに関して提案する。
④校内研修そのもののファシリテーションをまかされる。

 ぼくが上記の4つのパターンのうち、特に、自分の興味関心を十分に刺激される入り方は①と④だった。
 この中身については、少しずつ書いていこうと思う。

 とりあえず、個人支援、学年支援、学校支援など入り方は多様だが、ある程度継続的に入ることができた中で、表に出してもよい学校でいえば、神奈川県山北町立山北中学校、小金井市立前原小学校と岸和田市立浜小学校及び岸和田市立朝陽小学校。さらに、北海道美深高等養護学校、品川区立日野学園、ほかにも、大阪の池田市立の小学校、東京国立市の中学校などに継続的に入ることができた。

 いくつかの現場については、関係が深まってくる中で、少しずつ外部に開き、同行者が増えていくような仕掛けを作った。
 そもそも学校に入る場合には、できるだけ一日の流れが見える規模で入る。その際に、ぼくが一人で見るよりも、複数の人たちと関わりながら入る方が圧倒的に気付きも学びも大きい。この実践的体験的経験はとても大きかった。
 教室支援、学年支援、学校支援の形が、このような形で行うことではっきりと変わっていく。そういう実感が持てた。
 いわば新しい研修支援の形がぼくには見えてきたと感じている。

 数年前に大野睦仁さんと小中の校内研修担当者が対話をしていくイメージで校内研修の本を創った。この本は大学人が全く関わらない校内研修の本ということでもあまり例のないものだったが、無事に2版となった。この本の続きというか、もっとずうっと先にあるものを形にできそうな気がしてきた。

笑顔と対話があふれる校内研修
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教師教育メールマガジン65号、松田剛史さんです! - 2018.02.13 Tue

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メールマガジン「教師教育を考える会」65号
           2018年2月13日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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「ライフストーリーから見つけた!」
北海道大学大学院/
ソーシャルベンチャーあんじょう家本舗
松田 剛史
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 65号は、松田剛史さん(北海道大学大学院/ソーシャルベ
ンチャーあんじょう家本舗代表)。ファシリテーターとして、
北海道に教師教育の新しい動きを作り始めている方、です。
                      (石川 晋)
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1. 経験からみる「教師」

1-1 プロローグ
 北海道に移り住んで20年目を迎える。今は道内4カ所めとな
る安平(あびら)町に住んでいる。ここは夏涼しく,冬の積雪
が少ない地域。新千歳空港に近く,札幌にも通勤圏内という立
地が気に入ってここに移住したのが2010年だった。以降,地域
連携や学校に入ってカリキュラムを編成するなどの業務を請け
負うNPOを運営しながら,フリーランス教員として主に大学の
非常勤講師をしているが,それまでの12年間は中学校教員をし
ながら市民活動にも多くかかわっていた。学校教員になった頃
は,世間のようすと学校文化との違いに戸惑っていたが,徐々
にその違いにも熟れていき,いつしか学校の文脈で思考し,話
していることに気づいた。これは悪いことではないのだが,な
ぜだか「ちょっと距離を取ろう」と思ったのが,ESD(持続可
能な開発のための教育:以下,ESD)研究に力を入れていた大
学院修士課程在籍の頃(2007年)だった。

1-2 塾の講師
 もともと教員志望というよりは,大好きな社会科を教える仕
事がしたかった。
 大学2回生のときに学習塾の非常勤講師として採用され,曜
日ごとに周辺都市にいくつも点在する教室を渡り歩き,空いて
いる日にもコマを入れるために他塾にも応募して毎日どこかの
塾で子どもたちに社会科を教えた。社会科主任として全教室の
教材指導の統括もするようにもなった。主に中学生とかかわる
毎日は楽しく,そして社会科を教えることに生きがいを感じて
いた。就職活動もせず,教員免許も取得しないまま大学を卒業
し,学生時代と同じようにいろんな塾で非常勤として働くフ
リーランス講師としての生活をしていたが,ふと「あれ?これ
いつまで続けんの?!」との思いが頭をよぎった。すぐにコン
ビニの就職情報を手に取り,見つけた会社に応募して採用が決
まったのが進学塾の専任講師。「これまでの講師実績がものを
言ったんだな」と思っていたが,ただガッツがありそうだとい
うことで採用されたのだそうな。教科は小中の国語科全般と小
学校の初級算数科,中学校の初級英語科。社会科はオマケだと
言われた。灘中・高の合格を目指した進学塾である。そんな子
どもたちを指導するのだから,必死になって毎日励んだ。人生
で一番勉強したのはこの頃だったと思う。入社してすぐ,阪
神・淡路大震災が発生し,神戸・阪神間地区にあった会社は相
当なダメージを被った。神戸に親戚が多いわたしは,すぐに被
災地に入ったが,目にしたのは想像を絶する光景であった。そ
れとともに,避難所でボランティアとして活動する同年代の若
者の姿がそこかしこに見られた。会社に出向き「わたしもボラ
ンティアに行かせてほしい」と申し出たら「ダメだ。まずは会
社を立て直すのが先決。会社員として当然のことだ。」と。今
ならその論理もわからないでもないが,当時は悔しく,やるせ
ない思いでいっぱいだったし,情けない自分に歯がゆい思いを
した。ボランティア元年と言われる1995年だが,自分としても
市民活動に関心をもつきっかけとなった。なんとか会社も持ち
直し,4月から授業が始まった。そうすると「学校でこんなこ
とも教えてないの?!学校なにやってんの!?」という言葉が
講師たちから毎日のように聞かれた。講師の多くは民間企業で
の営業や企画などの叩き上げ。教員免許をもっている講師は少
ない。志望校に合格させるため一所懸命に学習指導するのは子
どもたちの将来のためであると同時に,会社の経営維持のため
でもある。すなわち「仕事」「業務」であり,民間企業として
は当たり前のことである(悪い意味ではない)。そうとは思い
つつも,「これでいいのだろうか?」と思い始めた。程なく
「学校って本当にそんなにどうしようもない所なの?」という
疑問を確かめようと学校教員になることを決意し,教員免許取
得に再度乗り出す。不足単位を取るだけだったので,免許はす
ぐに取得できたが,教員採用試験に合格するためには数年を要
すると考えて会社を退職。フリーターをしながら教採の勉強を
しようと思っていたのだが,程なく移動販売のたこ焼き屋を開
業してしまう。これが繁盛した。となれば「本格的に店を構え
よう!」と実家を改装していた最中,既に教採に合格(必ず採
用とはならない「B採用」だったので「また来年かな」と思っ
ていた)していた北海道での赴任先が決まってしまい,人口
1,500人程の小さな村の中学校に赴任した。

1-3 中学校で学習指導する「教師」
 一般大学で免許を取得したためか,学校がどんなところか全
くわからないまま飛び込んだ。そしたら毎日驚くことばかり。
大阪出身のわたしにとっては異境の地だから,もしくは小さな
村だから,ということで自分を納得させていたが,だんだんと
違和感が大きくなっていった。授業でも「教え方」を工夫しよ
うといろいろと試みたが子どもにはあまり響かず,同僚や管理
職からもあまり理解は得られなかった。アイヌ民族を題材にし
た公民的分野での研究授業では「寝た子を起こすんじゃない」
と管理職から嗜められたりもした。異動で赴任した次の学校で
は生徒指導にかなりの力を入れていたが,そこここで「指導」
という名の見せしめを行っていることに違和感を感じながらも,
「考える社会科」をもっと追究したいと思い始めた。転籍した
次の学校は教育大学附属校ということもあって研究の緻密さに
慌てふためく毎日を送りながらも,「学習者が主体的に学びを
獲得する社会科」を模索し始め,大学院に学内留学した時期に
本格的に考える時間をもった。修士論文は,主に学校教育にお
けるESDにかかわる学習をテーマとした研究だったが,さらに
社会教育の側面からも追究したいと考え,博士課程への進学を
決め,教員を退職し,持続可能な社会を目指す学びの場づくり
を行うNPOを立ち上げた。退職間際に大学と高校から非常勤講
師の依頼があったのでお世話になることにした。「教える社会
科」から「使える社会科」への転換を意識した教員の在り方を
模索したいと強く思い始めたのもこの頃だったので,大学での
教科教育法の授業を担当できたのはタイミングがよかった。も
ちろん「使える社会科」とは,身につけたことを日常や社会の
中で当たり前のこととして活用していける(使える)力という
ことである。

1-4 大学で学習指導をする「教師」
 2010年以降,主に大学の教職課程で教科教育法を中心に担当
依頼が増加し,現在は5つの大学でレギュラー講義を年間26コ
マ担当している。昨年度からは初年次教育の必修科目も担当し,
目的意識が共通ではない学生の指導にもあたり,「教師とは何
か」について日々勉強をさせてもらっている感がある。
 大学生がこれまで歩んできた学習歴を紐解くと,多くの学生
が言うには「正解」を教員から教えてもらう授業が多かったと
いうことである。要するに,先生は「正解」をもっていて,そ
の「正解」さえ獲得(覚える?)すれば学んだということにな
ると。とすれば,教員はその「正解」さえ「教え」ていればい
いということになるが,教員ってのはそうではないはずである。
AIでも代用できるような「正解」を「教え」ることは,教員の
本分ではないと思いたい。
 業務柄,教職課程の学生の学習指導案の作成や公開された模
擬授業を指導することがよくある。黒板に書いたことをノート
に写させ,教科書を読ませ,1つの正解しかない問いを発し,
誰か1人の生徒役から発せられる正解を全体が理解したと曲解
し,「みんなわかった?」という教員の自己満足確認の作業を
経て,教員自らでまとめをして終わる授業をほぼ全ての学生が
行う。一体ここから何を身に付け,公民的資質はどう養われて
いくと思っているのだろうか。その後数ヶ月をかけて学生自身
が「必要」だと認識する授業づくりをするのだが,ここであら
ためて思うことは「人は経験したことをなぞる」ということで
ある。これは「学ぶ」が「真似る」と同源であるといわれてい
るように,マネをすることから学びが始まるということを意味
している。教職課程の学生も,自分が児童生徒時代に経験して
きた学校での授業を真似るところから始めるのである。それで
よしとするのか,それとも自らの意図や目的を取り入れながら
「信念」をもって授業のあり方を変容させていくのかで,その
後出会うこととなる児童生徒たちの学びの価値を決定づけるこ
とにもなる。教員の仕事が子どもの人生に,そして社会そのも
のへと影響を与えているのだなあと毎年実感させられる。

2 教育と学習と「教師」

2-1 「教師」は授業で何を指導するのか
 学校教育における1単位時間の授業で教員が何を指導するの
か。そして生徒はどのように学んでいるのか。前章でも少しふ
れたが,生徒は,教員が黒板に書いた学習内容のサマリーを
ノートに写し取り,その説明を教員から聞き,教員によってま
とめられた「今日のまとめ」をこれまたノートに書き取る。こ
れを毎時積み重ね,重要だとされる教科書の「太字」をその意
義や関連性も見いださないままにただ暗記して丸呑みにし,テ
ストで吐き出すということを繰り返す。社会科として,この作
業にはどれくらいの価値があるのだろうか。
 教員の仕事の第一はもちろん「授業」を行うことである。授
業とは「何かを教えること」とも言えるが,それが全てではな
い。子どもたちは年間千時間以上の授業において,何に気付き,
何を得,何ができるようになっているのであろうか。それはど
こで使えるようになり,どのようにして日々の生活や成長の中
で活かしているのであろうか。これは,中教審答申(2017年)
および今次改訂の学習指導要領(小・中学校)において,「何
を学ぶか」から「何ができるようになるか」への重点移動とし
ても示されているし,21世紀型能力の根底に位置づく学びを意
味している。つまり,授業での学びは「教え」られるコンテン
ツ中心の学びから,人生や社会で使える資質や能力・態度をは
ぐくむコンピテンシー・ベースの学びへとシフトしようという
のである。となれば,教員は授業で「何を」指導するのであろ
うか。教科書を教えていればいいということではなさそうであ
る。かといって,最近言葉が一人歩きしている「アクティブ・
ラーニング」だ!と言って,ただ表向き話し合っているように
見える中身のないグループワークをしていればよいということ
でもない。
 「誰のため」「何のため」そして「なぜ学ぶのか」がはっき
りとしていることがこれからの授業スタンスとして求められ,
身に付けさせたい力は何であるのかを明確にし,「体験的」な
学びを重視し,「主体的に問題を解決する力」を養うことが授
業づくりにおいて必要となる。これは次節「ESD」においても
同様である。

2-2 持続可能な開発のための教育(ESD)と「教師」
 ESDとは,「現代社会の公正」と「未来社会への公平」を同
時に満たす社会の形成を目指すために必要となる考え方,知識,
能力,態度などを養う教育的視点である。これらを養うには,
学習者が主体的に考え,他者との対話を通して多様な価値観か
ら自らの視野を広げ,社会の一員としての身につけたい資質・
能力(=公民的資質:社会科系統の教科目標における最大のポ
イント)を見いだし,獲得し,共有するための「ともに深める
学びの機会」を大切にしたい。しかしそれは,学校教育におけ
る教科・領域に分けられた縦割りの学びだけでなく,教科・領
域横断的な学習を始めとした学ぶ機会の連結や融合,学校内外
との連携,そして「何を学ぶのか」から「何を身につけるのか」
を意識した総合的な学びの場(機会)を有効に機能させるため
のマネジメント能力が教員各自だけでなく学校という組織体に
は求められるということである。また,持続可能な社会づくり
を担う人材育成は,学校とともに主たる教育の場である家庭や
地域,そして企業や団体などでも重要であると考えると,閉鎖
的に学校の中だけで教育活動を展開していても実際としては効
果的であるとは言えない。ESDが目指すところと中教審の議論
や今次改訂の学習指導要領が言わんとすることは意を別にする
とは言い難い。とすると,ESDは教育界のトレンドということ
になる。しかし,ESDは「実践する」ものではなく「整理視点」
であるので,何か教育活動を新たに始めるということではな
い。従来から本質的で現在的・未来志向的な学習を系統的かつ
有為のうちに教育課程に位置づけているのであれば,それはす
なわちESDである。ゆえに,「うちの学校ではESDの実践をして
います」ではなく,「結果的にうちの学校はESDでしたね」と
いうことになる。いわば,学校の中で「誰のための」「何のた
めの」そして「なぜ行うのか」が明確に整理・共有できている
のであれば,ESDをわざわざ掲げなくてもいいし,ESDという言
葉自体も必要ない。教員として必要な意識のひとつとして大切
な視点となるのではないだろうか。

2-3 自らの学びの見える化を支援する「教師」
 学習者は自己の学びを学習内容(何を学ぶか)だけではなく,
学び方,学びに向う意識のあり方,多様な他者との接点からく
る価値観の広がりと獲得する学びの深まりなど,自ら「獲得」
する学びへの転換が必要であり,またこれは,受け身ではなく
能動的な学びの場を構築(マネジメント)できる教員が必要と
なるということを意味している。教員を養成する大学の教職課
程においても,前述の現状を打破し,課題を解決するための授
業の工夫をどのように大学教員が意識し,実践していくかは将
来世代に対する責任であると言っていい。
 そのためにも,学習者が自らの手で「何を学んだか/学べて
いないか」「何ができるようになったか/なっていないのか」
を見取り,「何ができるようになりたいのか」「そのために何
が必要なのか」を自ら見いだすためのサポートを教員が行う必
要がある。リフレクション活動とポートフォリオ評価である。
その手だてや詳細はここでは割愛するが,成績評価のためのそ
れではなく,学習者が学びのセルフ・マネジメントができる力
をはぐくむための学習支援や学習環境整備に意識を向けること
が教員にとって重要であるということである。
 わたし自身,この2年間で1000人以上の学生を対象にリフレ
クションとポートフォリオによる学びのセルフ・マネジメント
を実践してみた。1セメスター15回,毎講義時に学生は自らリ
フレクション(感想ではない)をし,途中で形成的評価の場面,
最終回に総括的評価の場面を設定した。概ね学びに向う力は伸
びているように思えるが,その反面,このような活動に慣れて
いない学生やコンテンツ主義の学生にとっては何ら意味のない
「無駄」な作業・時間としてしか捉えられない。また,適当な
感想や誰にでもあてはまる模範的な記述を毎回残している学生
にとっては,形成的・総括的評価において,自らの学びの軌跡
を見取ることはほぼ不可能となる。勉強とは「教え」られるも
のであり,評価とは「教師」がするもの,という凝り固まった
概念を打ち破るために,わたしたち教員には何が必要なのだろ
うか。これもまた自ら問い続けていきたいことである。

4 学び続ける「教師」?エピローグに代えて?
 年齢を重ねたせいにはしたくないが,最近,現役教員の頃と
比べると「ここ一番」のふんばりがきかなくなった。そして,
「できない」自分にも気付き始めた。何にでも好奇心旺盛に
チャレンジすることが自己を成長させ,そんな姿を生徒や学生
に見せることが彼らの成長にもつながると信じていたが,恥ず
かしながらどうもそうとは言い切れないらしいということがこ
の歳(46歳)になってわかってきた。依頼を受けた仕事も力押
しでやりきることもできず,ヘコむことも出てきた。いや,以
前はヘコむことすら見ないようにしていたのではないだろうか。
生徒や学生には「どんどん失敗しなきゃ」とか「失敗は成功の
素」などと言っておきながら,わたし自身の失敗は彼らには見
せたくないと思っているエエカッコしいのところも見えてきた。
人にはあれこれともっともらしいことを言っておきながら,そ
の実,自身ではどうだったのか。甘えた自分には「喝!」だと
思っていたが,そうではなくて,自分のありのままを見て「受
け容れる」ことが大事なのだろうと思うし,どんなときにも
「勉強させてもらってるなあ」と思えるようにもなってきた。
「なんだ!今さら何言ってんだ!?そんなの当たり前じゃない
か!!」と笑われるかもしれないが,人それぞれ個性があるよ
うに,そして生徒や学生にもそれぞれ学びのペースがあるよう
に,そして教員もいろんな人がいるんだから…。でも教員には
それが許されないのではないかという気もする。もがき続ける
教員である。では,7歳になった息子に対して,父親としてど
のように接するかも教員としてのスタンスと同一線上にあるの
か。違うような気もするし,共通点も多いような気もする。も
がき続ける父親でもある。
 これを書きながら,ひとつ見つけたことがある。それは「素
直」さだ。垢まみれになった大人の心から生徒や学生,そして
息子に届くのは理論や常識ではない。素直になってみると普段
みているのとは全く違う風景が広がる。もちろんこれは教員だ
けに限ったことではないが,次世代をはぐくむという観点から
すると,教員として,人に・仕事に・学びに素直になることは
忘れないでいたい。
 わたしは現在,国際博覧会(万博)の教育的機能について
ESDを視点として研究している。一見,教師教育となんら関係
ないように見えるが,実は関連性が多くみられる。未発表なの
で,その内容をここで明かせないのは残念だけど,博士課程9
年目に突入するラストイヤーの来年,「ここ一番」のふんばり
をきかして,「できる」自分を取り戻せるかどうか。今一度
チャレンジして,自身の教員としてのブラッシュアップにもつ
なげていければと思う。何だかわたし自身の悩み事とヤル気宣
言をしただけのようなエピローグになったが,学び続ける「教
師」としてまた一歩前へ踏み出したいと思う。
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 松田さん、壮大なセルフライフヒストリー、ありがとうござ
いました。書きながら見つけていくというプロセスが如実に表
れたテキストでとてもおもしろいです。
 私は松田さんとのつながりも気が付けばもう20年近くにな
るのですね。互いの関心領域が、こうしてまた近づいてくる…
ご縁を感じます。

 次回、2月16日金曜日。渡辺貴裕さん(東京学芸大学教職
大学院准教授)です。対話型模擬授業検討、演劇的手法を生か
した授業改善など、注目の提案を続ける実践的研究者です。

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メールマガジン「教師教育を考える会」
65号(読者数2620)2018年2月13日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
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(まぐまぐ:教師教育を考える会)
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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
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