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2023-09

『学び合い』ツアー報告 2011.1.11-13 - 2011.01.14 Fri

 2002年に西川純さんに帯広まで、授業づくりネットワーク北海道大会の講師として来ていただいた。
 本を読んで、強烈に興味を惹かれたからである。大会がはじまる前日の顔合わせの飲み会で、「どうして私みたいなものをわざわざ呼んだのですか」と西川さんに聞かれた。「オカルトでわけがわからないからです」と答えて、西川さんが瞬間沸騰(笑)して以来、10年近い時間、懇意にしていただいている。
 とうとう『学び合い』を見に行くことができた。しかも、私を含めて8名もの仲間でおうかがいできて、私にとってもうれしいツアーであった。

 さて、私が感想を書く前に、堀裕嗣くんが書いてしまい、しかも私はそれを丁寧に読んでしまい、しかも素晴らしい感想で(笑)・・・まあとにかく、ぼくが思ったことをあれこれ書いていこうと思う。

 堀くんのブログ

 前日の飲み会でのお話し、初日の朝の西川先生のレクチャーは、基本的に、私が知っている西川純さんの『学び合い』そのものの中身で、事実を誤認していたかも、というようなことは何もなかったように思う。
 いよいよ最初の学校で、異学年交流。私は、小中併置校の経験を4年持っていて、異学年交流の意義を、私なりに十分に理解しているつもりである。だが、当時、私には、異学年交流が文字通り交流として進むためのイメージが持てていなかった。今回は、通常体育館で行う活動を、各階フロアで行うということで、子どもにも戸惑いがあったか、期待したほどのダイナミックな交流とは見えなかった。しかし、それでも、私が嵐山小中学校で一所懸命異学年交流を、させようとして「頑張っていた」時よりも、遥かに交流が進んでいると見えた。廊下に座り込んで交流する姿もたくさん見られた。
 『学び合い』はたしかに、異学年交流を楽々と実現する。

 しかし、一方で、では、子どもたちが本気で一人も置いていかないと考えているかというと、これは、私には、???だった。その最大の原因は、私は、この時点で、「課題」が本気で解決しなければならない、汗をかくものになっていないからでは、と考えていた。このことは私は重要なポイントだと思う。課題づくりは実は、教師の技量がはっきりと表れる難しいポイントだと考える。
 しかし、次の時間の4年生から6年生の各学級公開で、それよりもさらに重大なポイントがあるということが私にも見えてきた。

 さて、4年生から6年生の各学級における『学び合い』である。
 まず私は最初の課題確認から活動開始に注目した。幸い、5年生と6年生の両方のクラスが、活動に移行する前後を見せていただくことができた。5年生は、教師の課題説明が終わると、瞬間に、子どもたちが「○○ちゃん、一緒にやろう」と叫び、あっという間に、机がつけられ、活動がはじまっていた。一方6年生は、教師の説明が終わった後、生徒がのろのろと動きはじめる。みんなが動き始めた後も、ぼうっとその場で座っている生徒までいる。やがて、6年生の先生が、グループにひっきりなしに入って教え始める様子を見て、わかった。課題の問題もそうだが、それ以上に、教師の腹のくくり方(これを、西川さんは、子どもが有能であることを信じ切れるかどうかと表現するのだろう)だということがわかった。
 6年生の先生の名誉のために言うと、その先生は、終了後の検討会でも非常に誠実で、ご自分の悩みをしっかり言語化されていた。要するに、先生方の中には、自分のもともとの教育観やそれに伴う方法と、『学び合い』とのギャップに苦しんでいる人もたくさんいる、そういうことなのだった。
 ここは、よく見えた。西川さんのおっしゃる通りと感じた。

 そのような視点でみると、5年生の教室の児童図書スペースには、スタートブックが置いてある。折り目もたくさんつき、生徒が読んでいることがすぐにわかった。終了後質問してみると、「わざわざ置いている」と。つまり、自分が行っている学習について、私の言葉で言うと「社会的な必要性や意義を説明」しようとしているのである。私は、学習の意義や意味を社会的文脈に載せて子どもにしっかり伝えることが、求められていると考えている。非常に納得できた。

 一方で、一貫して違和感があったのは、学びのデザインについてだった。より細かく書くと、学習の場のデザインが気になったのである。
 異学年交流の際には、子どもたちのかなりの数が廊下で学習していた。つまり学びの場を、自分で選べる、そういう学習デザインになっていた。しかし、各学年の授業はそうはなっていなかった。
 終了後、なぜ、各学年での『学び合い』では、みんな教室の閉じた空間の中で行われるのかと尋ねた。教務主任の方が、「寒い季節なので、夏はそんなことはないのです」というようなことをおっしゃったので、それ以上は聞かなかった。しかし、前の時間には、廊下で学習することを選択している子どもはたくさんいたのである。新しい学びのデザインを本当に考えるなら、時間のサイズや教室空間の問題との不適合について、真剣に考えねばなるまい。
 現段階では、旧来の学習システムとのぶつかり合いには無自覚。つまり、学習としては、習熟度別学習のより効果的な方法を検討した結果です、というような感じに見えてしまうと思った。
 そのように考えたもう一つの理由がある。
 『学び合い』がはじめてうまく行きはじめたと感じたエピソードを話していただいた時のある先生のお話しである。その先生は、1時間取り組んだ後、全員を見捨てない取り組みができたかを聞くと、ほとんど数人しか出来ていない事がわかり、そこで、はじめて本気で、説諭し、もう一時間取り組ませたところ、圧倒的にうまくいったという、興味深いエピソードを話してくださった。しかし、そこで、一つ抜け落ちている視点は、それが、当初の予定を壊して、二時間続きでやれる環境、つまり小学校の「制度」下だかr出来ているということだった。もし中学校だったら、ひょっとすると『学び合い』が続けられないほど致命的な結末を生む場合すらあるだろう。

 『学び合い』は、誰でもできるという。そのことの意味もわかるが、一方で、圧倒的な影響力を持つ教師だけが、本当の意味での『学び合い』を実現できるのではないかという疑問も、沸き起こってきた。学校の権力構造の中で高いステイタスを持つ教師が圧倒的に進めやすい授業なのである。

 とはいえ、私はボトムアップで校内の意識を変えていくことの難しさを良く知っているから、この学校の先生方に十分すぎる敬意を持ったことをきちんと書いておきたい。

 二日目。今度は小規模校の全学年異学年交流である。
 ここは、学校長さんが、ものすごい明晰な方だった。学校を巡る様々な諸条件をよく分析し、それを一気に解決する考え方として『学び合い』を導入しようとされている。一方で、トップダウンで実施する難しさも良く見えた。一つの部屋に集まっている子どもたちは、もともとあるだろう田舎特有の子ども同士の親和性を土台に、大変活発な交流をする。しかし、特に年配の先生方を中心に、子どもの中を「分断」して、教え続ける姿は、直視できないほどであった。また、先生方の多くは、異学年交流の場にありながら、わずか数人しかいない自分の学級の生徒しか見ていないのである。
 全体の進行を、院生が進めているという現実も重かった・・・。
 もっとも、私には、だからこそ、学校長はこの学校で『学び合い』を実現しようと考えているのだろうということも考えた、詳細を言語化したりはしないが。

 他にいくつか思い出しつつ書いてみる。

 私はWSへの興味が深い。西川さんは、技術を問題視するところで話をするのは本筋ではないとおっしゃることは承知しているのだが、やはり、シェアリングの方法の不徹底、教師の説明力の不足が気になった。それらが技術として独り歩きすることの巨大な弊害を危惧するのはわかるが、説明力やシェアリング力が『学び合い』をより高次のレベルに高めていくためのアドバンテージになることは明らかだとも思えた。

 また、例えば、最終的には、高次なレベルでの『学び合い』を実現させるには、相当な技量を持った教師であることが不可欠なのでは、とも感じた。またそのレベルの『学び合い』を実現している学級というのは、おそらくは極めて一握りなのであり、つまり、まだ、最終的なイメージは「仮説」の段階を出ないものではないのかとも感じた。例えば、岐阜の神埼先生の『学び合い』などは、どんなレベルに到達しているのだろう。ぜひ見たいという気持ちになった。

 さらには、運動としての『学び合い』は、これも詳述は避けたいが、私は難しい局面を迎えているのかなあとも感じた。

 二日間にわたって、西川さんと院生にはいたれりつくせりの準備・応対をしていただいた。
 深く感謝申し上げたい。

 いろいろ書いてきたが、私は3学期から、『学び合い』に取り組んでみたいなあと思う。
 そういう気持ちになった三日間であった。
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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
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