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教師教育メールマガジン78号、佐藤年明さんです! - 2018.03.24 Sat

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メールマガジン「教師教育を考える会」78号
            2018年3月23日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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3つの国立大学で35年間教員養成に取り組んできて
                      三重大学教育学部教授
                            佐藤 年明

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 78号は、佐藤年明さん(三重大学教育学部教授)です。35年の学部
教員としての教員養成を振り返ってくださいました。   (石川 晋)
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 毎号すごい投稿が載るのでビビっています。トリに近い時期なので、こ
れまでのいろんな方の投稿を改めて読みなおした上で書こうかと思いまし
たが、そんなことすると書けなくなりそうなのでやめました(^^;)。
 タイトルの通り、長年続けてきた教員養成の仕事を振り返りながら書い
てみたいと思います。教師教育の内容と言うよりは教師教育に取り組んで
きた自分の回顧談になります。

1 神戸大学での3年半(1983.4-1986.9)
 僕は京都大学教育学部に1973年に入学し、その後修士課程・博士後期課
程に進学、博士後期課程を学修退学(=所定の単位を取得したが博士論文
未提出)しました。当時は課程博士(博士後期課程在学中の3年間+αの
期間に学位取得)の制度ができたばかりで、教育学系ではほとんど前例が
なく、自分たちの指導教官くらいの年齢(50代くらい)になって論文博士
を申請するのが一般的でした。まあ僕自身はその後現在(63歳)に至るま
で博士論文を書いていないので、制度改革は関係なかったわけですが(^^;)。
 ということで僕は1982年3月に京都大学大学院教育学研究科博士後期課
程を学修退学しましたが、いくつか応募したものの研究職(大学教員)に
採用されず、1年間京都大学研修員という身分で過ごしました。何か「研
修」をするというわけでもなくただ研修料という名の学費を支払うだけ
(学歴に空白年月が生じることが不利になるという懸念からこの制度を利
用しただけ)でした。この1年の間に、京都大学大学院教育学研究科でロ
シア語文献講読の授業を非常勤で担当されていた杉山明男神戸大学教育学
部教授(故人)が、神戸大学大学院文化学研究科(教育学研究科修士課程
と文学研究科修士課程の両方の上に立つ独立研究科、博士後期課程)の助
手(5年期限)を探していらっしゃることを知って応募し、幸い採用され
ることになって、1983年4月に神戸大学へ赴任しました。
 杉山明男先生はけっこうアクの強い方で、学内にも批判的な人も少なく
なかったようですが、僕にとって何よりありがたく学ばせていただいたの
は、杉山先生が一方でソビエトの集団主義教育学の理論・実践研究(マカ
レンコ、スホムリンスキーなど)に取り組まれつつ、他方で文学の授業を
中心に日本の学校での授業研究に大変精力的に取り組まれていたことです。
当時の授業研究の「御大」の一人であった吉本均氏(広島大学)も「右手
に辞書、左手にテープレコーダー」(逆だったかも^^;)みたいなことを
京大での集中講義でおっしゃっていて、これが授業研究に取り組む当時の
研究者の一つの定番スタイルだったようです)。
 神戸大学教育学部の杉山ゼミでは、「あとかくしの雪」「川とノリオ」
などいくつもの文学作品の一文一文をともに読みながら教材解釈に取り組
み、私も文学作品の読み方(方法論としては同授研=同和教育における授
業と教材研究協議会や文芸研の読み方)をずいぶん鍛えられました。僕自
身、(2人の大学院生との共同作業で)恥ずかしながら一つの作品(千葉
省三「井戸」)の教材解釈を同授研の出版物に書かせていただいたことも
あります(同和教育における授業と教材研究協議会編『はぐるま教材の研
究と授業・高学年』部落問題研究所 1985年)。
 当時既に阪神一円で多数活躍されていた杉山ゼミ卒業生の先生方の授業
を参観させていただく機会が何度もあり、さらに僕自身が、当時神戸大学
大学院教育学研究科に在籍中だった附属小学校のK先生とともに、附属住
吉小学校4学年で松谷みよ子「茂吉のねこ」の授業を数時間担当させてい
ただきました(これについても拙稿「文学の授業における児童の認識過程
に関する一考察」神戸大学大学院文化学研究科『文化学年報』第5号
 1986.3 に書いています)。
 杉山先生ご自身が大学の教壇に立つだけでなく小中の授業を数多く参観
され、またそれだけでなく自ら小学校や中学校で授業を行なう機会をたび
たび持っておられました。このようなタイプの研究者・大学教員は、当時
それほど多くなかったんじゃないでしょうか。つまり、授業を観察し分
析・批評することだけではなくて、自ら教材解釈をし、指導案を作り、授
業を行なう大学教員というのは。教員養成学部で小中高教師出身の大学教
師が増えた現在ではさほどめずらしくないことでしょうが。
 僕の神戸大学在任期間はわずか3年半でしたが、杉山明男教授のそばに
いて先生の研究や実践のスタイルに身近に触れさせていただいたことは、
それ以前の京都大学での10年間の学び以上にその後の教育学研究者として
の僕の進む道を規定したと思っています。

2 宮城教育大学での2年半(1986.10-1989.3)
 神戸大学助手の一応の期限である3年目の終わりまでに就職がなく、半
年間の延長を認めていただきましたが、幸いその頃に宮城教育大学の社会
科教育助教授募集の情報を得て、応募した結果採用してもらえました。当
時の僕にとって宮城教育大学とは、元中学校社会科教員で歴史教育者協議
会(歴教協)の事務局長を長く務められた本多公榮先生が社会科教育の教
授を務められていること、またかつて林竹二学長のもとで小学校教員養成
を中心にユニークな大学改革で名を馳せた大学であることから、大変楽し
みにして仙台の地へ赴任しました(宮教大時代かその後の三重大時代の初
期に「授業づくりネットワーク」の活動の中で石川晋さんと出会っていま
す)。
 残念ながら僕のあこがれ・期待の二つ目については、実際の宮教大はも
はや「抜け殻」と言っていい状態でした。多く聞こえてくるのは林竹二さ
んのユニークな改革への怨嗟でした。ただそれでも、普通の教員研究室2
つ分くらいの広さの部屋に教員と学生(多くは研究室ゼミ以外のメンバー)
が同居する「合研」という林学長時代からの制度が残っていて、ちょうど
で経済学の教授が退職されて合研が1つ空くというので、僕がその後を継
がせていただき、カリキュラム上の研究室ゼミとは別に合研メンバー対象
に「60年代ゼミ」を開いたり、ボウリングや合宿などの行事を行なって楽
しく過ごしました。特におもしろかったのは、本棚だけで教員スペースと
学生スペースが分けられていて声は筒抜けの大部屋の中で、授業から戻っ
てきた学生たちが(本棚の向こうに教員がいることは承知で)授業批評・
教員批評その他の雑談をしているのを聞くことでした。今となってはどん
な話を聞いたのか全く覚えていませんが。
 この合研生活は、僕自身がその後まもなく転任することになったため、
たった1年間で終わってしまいました。
 本多公榮先生と一緒に2年半仕事をさせていただいたことは、僕にとっ
て杉山先生との日々同様に大変幸せなことでした。もっとも幸せであった
のは、温厚でありつつ論鋒鋭い(国会で教科書攻撃への反論証言をされた
こともあります)先生の人柄に触れたことでした。学生たちにも大変慕わ
れていらっしゃいました。後述の授業見学旅行の道中の土産物屋で本多先
生が好物の笹団子に手を出されると女子学生がサッと制止する(もちろん
先生の健康を考えて)、というほほえましい場面を目撃したこともありま
す。
 前述のように元歴教協事務局長であり中心メンバーでいらっしゃったこ
とから、本多先生は多くの著名な社会科実践者と親交が深く、その人脈を
活かして毎年ゼミ生(僕のゼミも含む)を「授業見学旅行」に連れて行っ
て下さいました。僕は在任が短かったので限られた機会(3回)しか参加
できませんでしたが、それでも筑波大附属小で有田和正氏の「巨大パンの
授業」(厳重に包装された2mのフランスパンを教室に持ち込み、子ども
たちにそれが何かあてさせ……)を参観し、授業後有田先生のお話を伺え
たことは本当にありがたいと思います。今でも授業を撮影したテープ(但
し、「β」ですが(^^;)を持っています。有田先生が一方でクラスの子ども
たちの動きは全て掌中につかんでいる(予想できている)と豪語されたの
にはちょっと引きましたが、他方で先生がクラスで一番乗ってこない子ど
もをどう乗せるかを常に中心に置いて授業づくりをしているとおっしゃっ
たこと(どうしても乗ってこなかった子が「デパ地下の試食」という宿題
を出したらはりきってやり出したとうれしそうにおっしゃっていました)
には痛く感動しました。
 脱線しました。(^^;) 授業見学旅行ではまた、田所恭介先生(東京・小)
の役割演技を取り入れた日本近代史の授業や、安井俊夫先生(千葉・中)
の縄文時代の授業も参観しました。本多ゼミで保管されていた授業研究旅
行報告書によると、山本典人氏、鈴木正氣氏など、錚々たるメンバーの授
業を見学し、インタビューし、学生の手で立派な報告書を作成していまし
た。自分で残していた授業見学旅行のファイルもひっくり返してみました
が、学生たちが相当熱心に事前学習もして、期待を持って授業見学に臨ん
でいたことを思い出しました。
 本多先生には持病の腰痛があり、また僕の在職中に食道静脈瘤破裂を発
症して数ヶ月入院されました。病後の回復につとめながら仕事を続けてお
られる本多先生を後に転任することについて、僕は大変悩みましたが、本
多先生は「転任はあまりにも早いけれども、佐藤さんが決断したなら私は
反対しない。」と言って下さいました。先生は、僕が三重大学に移って6
年後の1995年に亡くなられました。今も本多先生のご冥福を祈り続けてい
ます。

3 三重大学で29年(1989.4-)
 ここまでのペースでいくと、三重大学時代のことを書くのに数倍~十倍
以上の字数が必要となり、とても読者の皆様につきあっていただけると思
えません。
 そこで、というのもヘンですが、実は蔵満逸司さん(琉球大学教職大学
院)からのご依頼を受けて、これまでの大学教員生活を振り返ってのエッ
セイを「小学校教師用ニュースマガジン」に4月から連載させていただく
ことになっています。こちらの方は蔵満さんからストップがかかるまでの
言わば「字数無制限」(^^;)ですので、三重大学での来年度で30年目にな
る教員生活のことは、そちらに譲ります。
 別連載のキックオフイベントみたいにこの投稿を位置づけた格好になり、
晋さんに怒られそうなのでちょっとご相談したら、「そちら(=蔵満さん
のNM)にアクセスしない読者も当然多数いますので、さわりだけでも書
いていただけるとうれしいです。」とご配慮ある返答をいただきました。
 そこで、ですけど、この投稿もすでにかなりの字数になっているので、
次の連載についてはいまぼんやりと考えているプロットだけ紹介します。
本稿での神戸大・宮教大時代についての記載は、それぞれ期間は短かった
わけですが、一応時系列に沿って書きました。これに対してこれから書く
小学校NMでの連載では、約30年という長い期間にわたることを思い出し
思い出ししながら書くので、時系列にこだわらずにトピック中心で書いて
みようと思っています。もともとそういう構想なので、書く順番や内容が
今後入れ替わるかもしれませんがご了承下さい。
 1 ある学生からの罵詈雑言的批判
 2 全体討論へのためらい
 3 「カタを与えることで動き出す学生」をどう見るのか?
 4 「教師になるんだから…」の通用度
 5 (一時生じた)「なりすまし出席」
 6 Moodle 意見を全受講生に「晒されている」ことはそれでいいのか?
 7 授業後教室に残るプリント-学生にとって意味ある情報提供になっていない?
 8 ポートフォリオ-学習プロセスを可視化して振り返る良さ
 三重大編についてはいろいろやってきた教員養成教育実践の中から80名
前後を対象にして行なってきた教職科目「教育課程論」の授業実践を中心に書
いていきたいと思います。
 このメールマガジンと「小学校教師用ニュースマガジン」を両方講読し
ている方も多数おられるだろうと思いますが、そうでない方で関心を持っ
ていただいた方は「小学校教師用メールマガジン」もお読みいただくと、
僕の「エッセイ」(タイトル未定、4月27日開始予定)もお読みいただ
けます。「小学校教師用ニュースマガジン」の主宰者は蔵満逸司さんで私
ではないので正確な情報を提示できず申しわけないのですが、例えば
http://melma.com/backnumber_16863/
というページにアクセスしていただくと購読申込ができます。
 最後は宣伝になってしまいましたが、2つのメールマガジンを繋ぐとい
うのも偶然僕に与えられた使命かなと思い、書いてみました。
 長文をお読みいただき、ありがとうございました。 (2018.3.18)

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 佐藤先生、ありがとうございました。三重大学以降の武勇伝は、蔵満逸
司さんのメールマガジンで、ということで、そちらを楽しみにしています
(もちろんぼくは読者です)。
 さて、佐藤先生が、三重大学以前の学びについて、おおよそ恩師との出
会いを語るという形で記述されていることをとても興味深く感じていまし
た。現在の佐藤先生のゼミでの活動の様子の報告を読ませていただいたり、
三重大出身の学生の話をお伺いすると、まさに佐藤先生が書いておられる
恩師の姿と今の佐藤先生の姿が重なって見えると感じるからでしょうか。
 また、当時の学部学生、大学院の学生が、恩師との関わりの中でどのよ
うに学んでいたのかが見えるのも興味深いです。師に食らいつきながら学
ぶ学生の姿というのでしょうか。こうした在り様が、今も大学や大学院の
中にあるのか、学生の学び方もまた大きく変わったのだとして、それはな
ぜなのか…。
 今年は12月8日土曜日に佐藤先生にお願いをして三重大学の教室をお
借りします。私が理事長を務めるNPO授業づくりネットワークの三重集会
を開催することになっていますので、そこでまたいろんなお話を直接お聞
きできるのを楽しみにしています。お近くのみなさんは、どうぞ日程を空
けておいてください。

 いよいよ本メールマガジンも大詰めです。後二号です。
3月27日火  藤原由香里さん(京都府八幡市立美濃山小学校教諭、
NPO授業づくりネットワーク副理事長)
3月30日金  塩崎義明さん(浦安市立高洲小学校教諭)
 迷っていたのですが、31日、最後に全号のインデックスを私がまとめ
たものを発行します。それで本メールマガジンの締めとなります。後少し
お付き合いください。
==================================================================
メールマガジン「教師教育を考える会」
78号(読者数2653)2018年3月23日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
登録・解除 http://www.mag2.com/m/0000158144.html
(まぐまぐ:教師教育を考える会)
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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
ぼくにできそうなことは、どんどんお受けしますので、遠慮なくお知らせください。FBのメッセンジャーが一番確実です!

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