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2018-06

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教師教育メールマガジン67号、池田修さんです! - 2018.02.20 Tue

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メールマガジン「教師教育を考える会」67号
           2018年2月20日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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教師は、問題解決型学習を通して成長する
 京都橘大学発達教育学部児童教育学科教授/明日の教室代表
 池田 修
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 67号は、池田修さん(京都橘大学発達教育学部児童教育学
科教授/明日の教室代表)。都内の中学校でのディベート実践
で広く知られ、和田中を経て、関西ですぐれた現場人を育て続
ける方、です。               (石川 晋)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 春に教師教育についての原稿を引き受けた。
 (まぁ、私の掲載は来年のことだし、何かそれなりのことは
書けるだろう)と思って引き受けた。

 ところが、これがまぁ思い浮かばない。
 何かひとまとまりのことをまとめて書こうとするのだが、ど
うにも書き始められない。浮かばないまま、石川さんからそろ
そろ原稿をお願いしますという連絡がきた。ここからわかるこ
とは、一年間の時間の流れは早いということだ(^^)。

 教師の成長について、少し書けそうな気がするので書きます。



 大学で教員養成に関わる様になって、12年目が終わる。私
は中学校を6年単位で移動していたので、そう考えると2校目
が終わるということになる。中学校の時で考えるとこの先に転
勤した学校で、大きく指導観を変えることになっていったのを
思い出します。12年もやっていれば、自分の指導観、授業観
はそう変わるもんでもないんじゃないかと思っていたが、変
わった。例えば、教師の仕事を授業に絞ったとしてもそれは言
えると思う*1。

 それまでの私は、勉強はできるできないというのは、やった
かやらないかの問題であるというように考えていることが多
かった。実際、やらねばできないのだからそうだとは思う。し
かし、次に行った学校は、やりたくてもやる環境や条件のない
子供たちが、たくさんいた。

 そうだとすれば、私の「勉強はできるできないというのは、
やったかやらないかの問題である」という基本的な考え方は変
えなければならない。家よりはマシということで学校にいる生
徒たちではありました。でも、せっかく来ているのだから、50
分の授業の中でなんとかして力をつけられるように授業を組み
立てるにはどうしたらいいのだろうかと考える様になりました。

 具体的には、勉強を必要としていない子供たちに迫るために
は、必要性のカードで授業を組み立ててもダメで、興味関心の
カードで組み立てるべきだし、教師の説明で授業をするのでは
なく、生徒の活動で授業を組み立てることが大事。また、学習
させるのではなく、学ばせるのだという様に授業のデザインを
変えていった。それが「国語科の授業を実技教科にしたい」と
いう私の信念を強化するものになっていった*2。

 何が言いたい。
 教師の側が持っている授業観や指導観は、児童生徒に依拠し
ていて、そこが変わると根本的に変わってしまうことがあると
いうことである。つまり、その都度バージョンアップしていく
必要があるということなのだ。理念や理論は、大事だ。指導が
ぶれなくなるし多くのことを予測できる。しかし、目の前の子
供達を受け入れ、その事実に基づいて授業を作っていくのは、
担当している教師なのだ。



 私は、教師の仕事の授業づくりの仕事も、つくづく「問題解
決型の学習」だなあと思っている。
 確かに学習指導要領があって、教える内容は定められている。
教科書もある。しかし、授業を作る時に根本になるのは、学習
者である児童生徒である。

 今、中学校の国語の教科書を作っていて思うのは、授業をす
るのとは本当に違うということ。教科書を作る時は、日本中の
中学生の姿をデータで分析しながら、このような感じという中
学生像を作って、そこに向けて教科書を作る。その中学生像は、
私が描いている中学生像とずれることもある。ではあるが、そ
の中学生像に合わせて作る。

 しかし、授業は違う。目の前にいる児童生徒に向けて作る。
もう少し言えば、児童生徒の実態に合わせて作る。この内容を、
この児童生徒に、どのように教えるたらいいのだろうかと考え
る。それは、まさに問題解決学習だと思うのだ。



 私は、趣味が料理ということもあって、あれこれやるのが好
きだ。いや、ひょっとしたら最近思うのだが、私の趣味は料理
ではなく、あれこれすること。つまり、試行錯誤が趣味ではな
いかと思うぐらいあれこれやるのが好きだ。料理をしながら試
行錯誤の基礎トレーニングをしているとも言える(^^)。

 料理は、食材が仮に同じで同じように作っても、食べる人の
体調や好みで美味しいか美味しくないかが決まる。また、食材
がそんなに良いものでなくても、腕があれば美味しい料理にな
る。日本イタリア料理協会会長の落合務さんは著書『落合務の
パーフェクトレシピ』(講談社)の中で以下のように述べてい
る。

------

 最近はもしかしたらご家庭のほうが、僕たちよりも、もっと
いい食材を使っているかもしれないんです。プロはコストを下
げることも考えなくちゃ行けないから。で、その分、僕たちは
腕を使っているわけですね。
 どんなにいい食材を使ったところで、結局は「腕」なんです。
「腕」がなければ、せっかくの高級地鶏も美味しく焼けません。
その「腕」とは何かといえば、「経験」「知識(=理屈)」
「技術」、この3つです。「経験」と「技術」、これはもう実
践あるのみ。繰り返し作ることです。でもそれも、ただ作れば
いいってもんじゃないくて、そこに「知識=理屈」が加わるか
どうかで、料理の上達はまったく違ってくる。p.3

------

 この指摘は、授業を作っていくときに大きな示唆を与えてく
れているなあと思うわけです。素材とは、教科書のことでしょ
う。同じ教科書を使ったって、授業には差が出る。いい授業と
悪い授業。その差は、「腕」なんだと自覚するかどうかは、そ
の後の教師の成長にとって、とても大きい。

 うまくいかないのを、子供や親や地域や時代のせいにするの
は簡単。しかし、それは何も解決しない。それは今あなたの学
校だけで言えることではなくて、どこでも同じようなもの。だ
からこそ、わが「腕」なのだと自覚して、やっていけるかどう
かが大きい。

 それに店は、美味しくなければお客さんは次は来ません。し
かし、授業はいい授業でなくても子供達は来てくれる。つまり、
腕を磨くチャンスが与えられ、経験ができる環境にあるわけで
す。しかし、これを生かす人と生かせない人がいる、というこ
となのだと思います*3。



 話を元に戻します。
 問題解決型の学習でした。

 目の前にいる子供たち。
 この子供達が抱えている問題をどう解決してくれようぞと
思って授業を作っていく日々を送るか、送らないかでかなり変
わるでしょう。

 何が変わるのでしょうか。
 それは、教師自身の成長がです。
 子供達の、つまらなさ、わからなさ、出来なさに付き合って、
それをどうやって面白い、わかった、できたに変えていく授業
を作って行けたとき、教師は自らを成長させたという「ご褒美」
をもらえると思っています。

 子供達を伸ばそうと試行錯誤していたら、子供達が伸びて来
たら、結果的に教師は成長していたということになっているの
だと思っています。
 研究会に出て刺激を受け、本などで知識を得て、子供達に関
わって試行錯誤する。その結果、教師は現場で成長するのだと
思っています。



 私もこれからもまだまだ、試行錯誤し続けていたいと思いま
す。
 試行錯誤はそもそも楽しいし、「ご褒美」も欲しいですし(^^)。


*1 ちなみに、授業に関しては以下の4人はこのように述べてい
る。

-藤岡 信勝-授業の4レベル。-「教育内容」「教材」「教授行
為」「学習者」(藤岡信勝『授業づくりの発想』1989年、
日本書籍)

-宇佐美 寛-授業とは、何か(A)を与え、何か(B)を隠し、
何か(C)を問い、何か(D)を考えさせ、何か(E)を認識さ
せるコミュニケーションである。このA-Eを計画しなければな
らない。(『大学授業入門』東信堂 2007年)

-野口 芳宏-向上的変容を保障する。
(名著復刻『授業で鍛える』明治図書 2015年)

-有田 和正- 授業とは,「これだけは,なんとしても教えた
いというもの」を,子どもが「学びたい,追究したい,調べた
い」というものに「転化」することです。(「『考える子ども』
を育てる社会科の学習技能」明治図書 1994年)

 その通りだと思う。(ちなみに大学生に紹介すると一番人気
は有田先生の説明だ)

*2『スペシャリスト直伝! 中学校国語科授業成功の極意』(池
田修 明治図書)に詳しい。

*3 ただ、最近特に気になるのが「○○スタンダード」という
言い方で、市町村の教育委員会や学校単位で、教え方を統一し
ていることだ。確かに、初任者などは一定の授業づくりの雛形
があることでやりやすいということはあるだろう。

 しかしこれには2点問題がある。一つは、授業者の試行錯誤
が制限されることだ。スタンダードづくりに関わっていれば問
題は減じられるが、そこにあるスタンダードをその通りにやれ
ということであれば、試行錯誤は生まれない。考えない教師に
育つ。

 もう一つは、教え方がスタンダードということで統一される
と、児童生徒の学び方も統一されることになる。つまり、「正
しい一つの」学び方を受け入れなければならなくなる。学び方
はその子供によって様々で、豊かである。これが制限されてい
て深い学びが実際に行われるとは考えにくい。
==============================================
 池田さん、ありがとうございました。
 今池田さんが考えていらっしゃることがよくわかる論考だな
あと思いつつ読みました。
 「店は、美味しくなければお客さんは次は来ません。しかし、
授業はいい授業でなくても子供達は来てくれる。つまり、腕を
磨くチャンスが与えられ、経験ができる環境にあるわけです。
しかし、これを生かす人と生かせない人がいる、ということな
のだと思います」・・・ぼくはどうかな、生かす人であれたか
な。もし少しは生かす人であれたとしたら、そうでない人との
違いはなんだろうなあ、そんなことを考えました。この部分へ
の池田さんの注が、「授業スタンダード」についての記述であ
ることは、とても示唆的だと感じます。

 次回、2月23日金曜日、金大竜さん(大阪市立新高小学校
教諭)。あいさつ自動販売機の実践で一躍広く知られた若手教
師。中堅に差し掛かった今も、試行錯誤を続ける実践者です。
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メールマガジン「教師教育を考える会」
67号(読者数2630)2018年2月20日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
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