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2017-10

教師教育メールマガジン25号、吉川岳彦さんです! - 2017.09.20 Wed


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メールマガジン「教師教育を考える会」25号
           2017年9月19日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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「教師教育とは、すなわち自己教育である」 
シュトゥットガルト自由大学 修士課程クラス担任及び専科教員コース
吉川 岳彦
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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 第25号は、吉川岳彦さんです。シュタイナー教育を学ぶために、ドイ
ツ・シュトゥットガルトにわたり研鑽を積む元高校教師の現地からの報告
です。                   (石川 晋)
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「教師教育とは、すなわち自己教育である」  ルドルフ・シュタイナー

【はじめに】

 シュタイナー教育を学ぶために、昨年の5月、ドイツ・シュトゥットガ
ルトに来ました。ほとんどドイツ語が聞き取れない、話せない状態から、
なんとか大学院に入って、ちょうど1年間です。ここでの学びを紹介しな
がら、教師教育について、考えてみたいと思います。

「そもそもシュタイナー教育ってなんなんだ?」という疑問をお持ちの方
も多いかと思います。ただ、これについては、端的にお話することができ
ません。ドイツに来て、毎日シュタイナー教育を学んでいれば、うまく説
明できるようになるかなあと思っていました。ところが、なんだか、どん
どん説明がしづらくなるようです。

 それでも、あえて申し上げるなら「教師は、子どもの今だけを見るので
はなく、人生全体、果ては人生が終わった後のことまでを考えて、授業を
作っていくべきだ」というようなものになるでしょうか。「なるほど!」
ではないですよね……。とりわけ「人生が終わった後のこと」って何なん
だ? という感じではないかと推察します。このあたり、私自身は一つの
「たとえ」として考えています。「人が死んだ後も、その考えや生き方が
生きている人に影響を与え続ける」というような。ただ、シュタイナー教
育の基礎を作ったルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner 1861-1925)
には、どうも色々と見えていたようですが……。オカルトっぽい響きはあ
りますが、著書をよく読んでみると、「よく人間を知っていた人だったん
だな。大人だな」という印象があります。

 さて、1919年に、ここシュトゥットガルトの街を一望できるウーラント
の丘に、最初のシュタイナー学校(ドイツではフライエ・ヴァルドルフ・
シューレ=Freie Waldorf Schule 「自由ヴァルドルフ学校」と呼ばれる)
が作られました。その時、シュタイナーによって、14日間に渡り、午前は
教育理論としての「一般人間学」、午後は実践的な演習形式で、創立メン
バーの教員のため連続講義が行われました。つまり、たった14日間でシュ
タイナー学校の教師に必要な基礎を教えたわけです。この講義内容は『教
育の基礎としての一般人間学』『教育芸術1・2』(筑摩書房)として読
むことができます。さて、シュタイナーはどんなことを話したのでしょう
か。

【人間の全存在の要求に応える教育】

 「ヴァルドルフ学校は人間の全存在の要求に応える教育をしようと、た
だそれだけを願い、その意味でのみ統一(された目標を持った*吉川によ
る注)学校であろうとしています。すべてがこの目標に従ってなされなけ
ればならないのです。とはいえ、妥協の必要にも迫られます。妥協は不可
避なのです。なぜなら私たちは、本当に自由に行動するところまでは来て
いないからです。悪しき教育目標や悪しき卒業目標が国家によって定めら
れています。それらの目標は考え得るかぎりでの最悪の目標です。それな
のに人びとは、考え得るかぎりで最高のものだと思いこもうとしていま
す。今日の政治は人間を型にはまったものとして扱い、かつてないほどま
でに人間を型にはめようと試みています。(略)特に教育機関の設立を、
事柄の本質からはずれた仕方で、信じられないまでに高慢な態度で、考え
ようとしています。」(『教育の基礎としての一般人間学』3-4ページ
 R・シュタイナー/高橋巌訳 筑摩書房)

 もう一つ引用させてください。内田樹先生のブログからです。

 「消費者も、市場も、ニーズも、何もないところに建学者たちはやって
きて、そこに学舎を建てたのです。そしてそれから、「そこで学びたい」
という人たちを創り出した。学校に先立って学びたい人たちがいたわけ
じゃありません。学校を作ったことによって「そこで学びたい」という人
たちが出現してきたのです。ことの順序を忘れてはいけません。

 建学者たちは、自分たちは「こういうことを教えたい」という旗を掲げ
た。こういう教育がこれからの日本には必要なのだ、日本の次世代を担う
若い人に必要なのだと説いた。その熱い言葉に反応して、「学びたい」と
いう人が出現してきた。「こういうことを学びたい」という子どもたちが
まずいたのではなく、「こういうことを君らは学ばなければいけない」と
力強く語った人がいて、その先駆的な理念に反応して、「もしかすると自
分の中にあるぼんやりした欠落感は、この学校に行って、この先生に就い
て学んだら満たされるんじゃないか」というふうに感じた若い人たちが出
て来た。

 教育を受ける人たちというのは、教育活動に先立って存在するわけじゃ
ありません。「教えたい」というメッセージがまずあって、それに呼応し
て「習いたい」という人が出てくる。呼応するというより、同期です
ね。」
(「内田樹の研究室」http://blog.tatsuru.com/2017/08/31_1544.php より)

 先に引用したシュタイナーの見方には、おそらく相当の反発があったと
思います。今、読んでくださっている方々の中にも、反感を覚える方がい
らっしゃるかもしれません。いや、どうでしょうか。大筋では賛成してく
ださるでしょうか。いずれにせよ、私があえてこの部分を引用したのは、
このシュタイナーの持つ「熱」、内田先生が言うような「何もないとこ
ろ」、もしくは全く求められていないかもしれないところに、それでも
「人間の全存在の要求に応える教育」を求めて、新しい学校を作ろうとし
たという気概に心打たれるからです。

【Freie Hochschule Stuttgartでの教員養成課程】

 では、1919年の連続講義からほぼ100年後、同じ場所?ウーラントの丘に
あるLehrer Seminar(教員養成課程)では、どのような「教師教育」が行
われているのでしょうか。

 9月11日より、新年度が始まりました。ほとんどの授業は今日(12日)
から始まります。シュタイナー教育では、だいたい4週間単位で学ぶ内容
が変っていきます。これを日本のシュタイナー教育の現場では「エポッ
ク」と呼ぶことが多いようです。新年度、最初のエポックは次の通りで
す。

1時間目(8:00-9:20) Musik 音楽 

2時間目(9:50-11:10)Tafelzeichnen 黒板絵

3時間目(11:30-12:50)
Allgemeine Menschenkunde als Grundlage der Padagogik
教育の基礎としての一般人間学

4時間目(14:30-15:55) 音楽授業法 低学年のための

 1時間目の音楽は、1年生から8年生までを受け持つクラス担任のための
授業です。ここでは、音楽を専門としない教員向けに、授業が組み立てら
れています。これについては、後ほどくわしく書きます。

 2時間目も、同じくクラス担任が黒板に描く絵の描き方を学ぶ授業です。

 シュタイナー学校では、黒板に季節や行事に即した絵を描きます。だい
たい一つのエポックが終わるまで、その絵を残しておくことが多いようで
す。担当のBriggs先生によれば、「黒板絵は、放課後、静かな教室で落ち
着いて描きます。これは、子どもたちへの贈り物、挨拶になるのです」と
いうことです。なおかつ、「完璧で美しい黒板絵は、かえって子どもが想
像で埋めるべきすき間を無くしてしまうことがあります」とも。「失敗し
たら、上から別の色を塗ってしまえばいいんですよ。」「とにかくいろん
な色を混ぜましょう。そのほうが自然に近づきます。えーと、ほら! あ
の家の壁も単色じゃないでしょう」

 3時間目は理論の授業です。先ほど紹介した1919年の連続講義をテキス
トとして使います。これは、もう、担当のLeber先生のドラマティックで
早口なドイツ語と、ディスカッションのスピードの早さのため、断片的に
しか聞き取れていません。翻訳されたテキストがあるので、何とかしがみ
ついている感じです。

 4時間目、初日は、互いに考えていることを知るということで、「なぜ
私は音楽教師になろうとするのか?」「音楽の授業は教育上どのような効
果があるのか?」という質問にそれぞれが答えるというものでした。私
は、あくまでも経験のために副専攻で音楽を取っているので、「いや、私
は音楽教師になることはないだろう。しかし……」と言った途端、クラス
の皆がツボにはまったようで、爆笑しながら「まって、まって。じゃあ、
なぜここにいるの!」と聞かれました。「いや、オーケー、まあ聞いて!
 だからね、音楽は好きだし、シュタイナー学校には音楽が溢れている
し、まあ一つの経験ということなのです。」と言うと、「なるほど」と納
得してくれましたが。

【Ronner先生の音楽の授業】

 今日の授業の中では、音楽の授業が、私にとって、最も理解しやすいで
すし、シュタイナー教育の教員養成の特徴がよく出ていると思うので、ご
紹介します。

 音楽のエポックは、夏休み前にも一度ありました。これが二回目となり
ます。

 まずは体をほぐすことから始めます。首を曲げたり、伸ばしたり、肩を
回したりして、だんだん呼吸を深くしていきます。やがて、Ronnner先生
の微かなハミングの音が聞こえてきます。私たち生徒は、それに合わせ
て、それぞれ「ウー」とか「オー」とか適当な声で、音を重ねていきま
す。シュタイナー学校は総じてそうですが、実に教室の響きが心地よいで
す。コンクリート造りの教室にあるような嫌な残響がありません。高い天
井と使い込まれた木の床に反響して、みんなの声が十分に響き始めたと
き、「さあ、黒い子猫を抱いて、撫でよう」と先生が言い、(空想の)猫
を撫でながら、その動きに合わせた「よぉーし、よし」という感じの声を
出します。子猫から始まって、犬、羊、牛と大きくなっていきます。すで
にみんな慣れてきて、なりきって声を出しています。いや、でも、時々、
併設されている学校の生徒たちが授業の様子をのぞき込むこともあるので
すが、小さな子どもはたいてい爆笑しています。女の子なんかは、「なに
やってるんだか」と冷たい目線です。しかし、とにかく、目の前に牛とか
がいる感じでやります。

 次は「あーおーぅ」と高い音から下がります。「上顎から下は脱力し
て。あくびと同じ!」と言って、Ronnner先生が顎が外れた人みたいな顔
で歌います。私たちも真似をします。「あーおーぅ」。起点の音を少しず
つ下げながら、続けます。端的に言えば、音程の間隔をつかむインターバ
ルと、発声法の基礎です。

 「さて、君たちそれぞれが歌いながら手を動かした時、高い音と低い音
では、その動きはどうなるだろう。観察しながら、歌ってみよう」

 歌います。何人かが指名され、実際に歌いながら手を動かしてみます。

 「同じ高さの音でも、人によって、手の動かし方は違っているね。それ
ぞれの音について、どこで響いているのか、頭の上なのか、胸の前なの
か、それともお腹なのか。前後左右、高さ低さ、自分との距離、自分自身
の音の地図を意識して、もう一度歌ってみよう」

 歌います。なるほど、意識することでまったく違ってきます。平面的な
感じで、音の高低を考えていましたが、奥行きも含んで立体的に考える
と、より音のイメージが明確になるようです。さらに、このインターバル
は、実は歌の一部になっていて、何度も繰り返しているうちに、自然にメ
ロディーが身についていきます。

 メロディーが歌えるようになってくると、次の指示があります。「それ
ぞれの音のイメージを手で作ってみよう。今の音はどんな形をしてい
る?」と、メロディーを歌いながら、何もない空間に次々と音を「形
作って」いきます。みんなが作っている形を見ると、見事なまでにそれぞ
れが違っています。「手の動きの形は違うけれど、方向性としては似通っ
ている。共通するものがそこにある。」とRonner先生。

 さらに歌いながら、先生がクラスを半分に分け、歌い始めを少しずつず
らして、歌を重ねます。要するに輪唱です。グループをだんだん小さくし
ていって、最後は二人ずつになりました。続けて、「一人ずつ歌って見た
い人は?」と聞き、希望した6人で輪唱します。「一人ずつ歌ってみてど
うだった?」という質問があります。「やった! と、自分に誇りを持て
た」といって、自分の肩を叩いて見せた生徒の答えに拍手喝采が送られま
す。おそらく、ここから自分自身を知ること、自分に自信を持つことなど
を、音楽を通して、学ぶことができるということにもつながるのだろう
な、と考えたりもします。でも、先生は、おそらくあえてそれ以上説明し
ません。でも、何となく、雰囲気は感じられるのです。目には見えないも
のなのですが。

 「今、聞いたように、声はそれぞれに違う。君たちがクラスに入って、
生徒たちと歌うとき、いろんな声がある。でも、いろいろな声が混ざるこ
とで、おいしい(geschmeckt)響きになる。トマトに玉ねぎ、ズッキー
ニ。みんな一つの鍋(Eintopf)で煮込むんだ!」。このRonner先生は、
実にたとえがうまいです。アイントプフ(Eintopf)とは、文字通り
「Ein=ひとつの」+「鍋= Topf」ということですが、これはドイツの伝
統的な家庭料理です。とにかくたくさん野菜やら肉やら香草を大きな鍋に
放り込んで、とにかくぐつぐつ煮込むだけ。ドイツらしい、冬の料理で
す。

 もう一つ、前回のエポックで印象に残った、Ronner先生の言葉を紹介し
ます。

 「私はまだ教師ではないのです。日々、教師になっていく途中なので
す」

 この授業の最後には、「この授業で何をしたのか。そのことを通して、
何が変化したか。それはなぜか。これを授業の後、それぞれが振り返り、
熟考することが教授法を学ぶときに必須のことだ。」という言葉もありま
した。あくまでも、「教師として教室で使うための授業」なのです。

【実践的なカリキュラム】

 このゼミナールの教授たちは、みんな少なくとも10年以上、ほとんどの
人が20年以上、現場で教えてきた人たちです。だから、言うこともやるこ
とも、だいたいにおいて実践的です。

 たとえば、クラスで生徒の歌にピアノ伴奏をつけるための授業はこんな
感じです。まず音階(スケール)をやります。次に、C・F・G調で、和
音を転回させる練習をします。例えば「C=ド」の場合は、「ドミソ、ミ
ソド、ソドミ」という感じでピアノの鍵盤の端からは端まで弾きます。
で、これをテンポに合わせて、コード進行(例えば、1-4 7? 1-5-1)
させると、すでに伴奏になっているという具合です。

 また、「言語造形(Sprachgestaltung)」という授業では、文字通り
「声」を作ります。早口言葉のようなことをしたり、発声練習をしたりも
しますが、本質的には「実感を伴った声で話すこと」が目的になります。
ちょうど林竹二先生と竹内敏晴氏の実践、問題意識と共通していると私に
は思えます。

 たとえば、詩の朗読の練習は次のようなものです。まず、先生が音読し
ます。私たちは、音読される詩から思い浮かぶ自分のイメージの中を「散
歩」します。たとえば、「古い教会に私は入っていった」という部分で
は、それぞれが、イメージの中で「教会」に入っていくわけです。次にペ
アを作って、その「散歩」の中でどんなものが見えたかを互いに説明しま
す。私のイメージの中の「教会」は古くて、人が誰もいなかったりします
し、もう一人の「教会」には、日曜日のミサで村中の人が集まって、とて
もにぎやかであったりするわけです。こうして、「実感」を持った上で音
読すると、あきらかに説得力が違います。

 担当のHans先生の言葉も印象に残っています。それはこんなものです。

 「教師はいろいろな心配事や、調子の悪さがあっても、それは教室のド
アの外に置いてこなければなりません。教室に入った教師は、自身の持つ
創造性、知識、その他すべてを尽くして、生徒を教えるべきです」

 これも、ほんとうに説得力がありました。教師であることに勇気と誇り
がもらえる感じです。

【教師はどうあるべきか】

 さて、シュタイナーの理論を説明するよりも、それに基づいた実践を紹
介するほうが、何というか、目に見えないものが伝わるのではないかと思
い、そのようにしたわけですが。いかがでしょうか。私は11年間大阪の私
立高校で教えたのち、思い切って、新しいことを学ぼうとドイツに来たわ
けです。ですから、学校現場、生徒、保護者、職場の人間関係などが、常
に理想的な状態でないということも知っています。私の場合は、かなり恵
まれていたとは思いますが、それでも、「こうあってほしくないなあ」と
いうことは割と多いですよね。それほどでもないでしょうか? いや、そ
れはともかく。

 シュタイナーは、教師が時に直面するしんどい出来事、不愉快な出来事
について、こんなことを言っています。

 「皆さんが自分の行為だけに注意をはらおうとするなら、そして皆さん
の在り方に注意をはらおうとしないなら、決していい教育者になることは
できないでしょう(略)当の先生の教育経験が豊かであるかどうか、教師
としてのやり方が巧みであるかどうか、が問題なのではありません。
(略)教室に入っていく教師が常日頃どんな考えを持っているかによるの
です。(略)皆さんが自分の個人的な精神を排除して、そして教室に入っ
ていきますと、生徒と皆さんとの間に内的な力を通して一つの関係が作ら
れることになります。」(前掲書 14ページ)

 しかし、そもそも、生徒が騒ぎ回って授業が成立しないなど、表面的に
はまったく関係が作られていないように見えることもある。「けれども」
とシュタイナーは続けます。

 「けれども、今ここで学ぼうとしている考え方を通して、皆さんは内的
に強くなっていなければなりません。そして、自分が笑われたことを、全
然問題にしないようでなければなりません。それは、ちょうど皆さんが雨
傘を持たずに外出して、突然どしゃぶりの雨に遭ったときと似ています。
そのような現実に対して持つような態度で、皆さんは子どもに接しなけれ
ばならないのです。」(同 15ページ)

 ここで「突然どしゃぶりの雨」とありますが、今の季節、ここシュト
ゥットガルトでは建物が震えるほどの勢いで夕立が降ります。関係ないの
ですが、いや、あるかな。

 「普通は学校で子どもたちにはやしたてられることと、傘を持たずに外
出してどしゃぶりの雨に遭うこととをまったく別のことと考えています。
けれども、(略)そこに区別を設けず、子どもたちに笑われることを、ど
しゃぶりの雨に遭うのと同じように、そのまま受け取ることができるほど
までに十分に力強く、思想を深めていかなければならないのです。」
(同15・16ページ)

 引用をしましたが、どうも分かったような、そうでもないような気がし
ます。これは、教師は「雨降り」のようにどうすることもできない外的な
要因にいちいち腹を立てたり、嘆いたりせず、「成長過程をたどる子ども
(同15ページ)」とはどんな存在なのかと深く考え、理解することで、状
況に適切に対応できるということなのかな、と私は今のところ考えていま
す。

【おわりに】

 教師という仕事を(一旦)辞めて、ほんとうによかったなと思えたこと
があります。それは、逆説的ですが、辞めたことによって、自分がどれほ
ど教師として現場に立つことを求めているかがよく分かった、ということ
です。幸い、縁あって、昨年の11月より、ミュンヘンの日本語補習授業校
で中学1年生の担任として教えることができています。土曜日だけの現場
ですし、往復6時間かかるため、朝4時半に起きて、戻りは22時になりま
す。しかし、自分のクラスがあって、専門の国語に加えて、地理も教える
ことができますし、平日にゼミナールで学んだことも検証できるという環
境は、とても得がたいものです。

 ずいぶん前のことなので、正確な引用にはならないのですが、シュタイ
ナー教育の関連書を数多く翻訳されている入間カイ氏は、シュタイナーの
言葉として、こんなことを紹介しています。

 「学んだ理論は忘れてしまっていてもいい。しかし、そうやって学んだ
ことが、生徒と直面したある瞬間にふと現れることがある。それで十分な
のだ」

 もし、この原稿がきっかけでシュタイナー教育に興味を持ったかたは、
ぜひ下のリンクをご覧ください。その他、不明な点がありましたら、ぜひ
ご連絡ください。

Freie Hochschule Stuttgartへのリンク
http://www.freie-hochschule-stuttgart.de/

※ホーム画面左横の「International」というタブの中に日本語による紹
介もあります。

==================================================================
 私とシュタイナー教育との出会いは大学時代の親友が、北海道のシュタ
イナー教育の立ち上げに関わっていったこと、そして、若き日に傾倒した
鳥山敏子さんの実践群を通してでした。でも、当時の私には、いわゆるオ
ルタナティブな教育の価値、意味は、やはり今ほどもわかっていなかった
と白状するしかありません。ドイツの学びの現場で吉川さんが積み上げて
いる体験の一端をこうして読みながら、そこにある本質的な形・議論がこ
の国の教育の現状を見事に言い当てていると感嘆します。
 「私はまだ教師ではないのです。日々、教師になっていく途中なので
す」というRonner先生の言葉。そして、吉川さんの「教師という仕事を
(一旦)辞めて、ほんとうによかったなと思えたことがあります。それ
は、逆説的ですが、辞めたことによって、自分がどれほど教師として現場
に立つことを求めているかがよく分かった、ということです。」という言
葉に、強く心を動かされます。私も、この仕事を終え、様々な現場の見聞
をくぐった後、また実践の現場に戻りたいなと改めて思いました。
 次号は、お茶の水大学付属中学校の渡辺光輝さん。持続可能でしかも清
新な校内研修開発。そして教師教育を考える上で重要なフィールドである
教育実習と正面から向き合う先生です。
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25号(読者数2528)2017年9月19日発行
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石川晋

Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
ぼくにできそうなことは、どんどんお受けしますので、遠慮なくお知らせください。FBのメッセンジャーが一番確実です!

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