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2017-10

【超長文:相馬市立日立木小学校6年1組高橋尚幸さんの教室に5月31日に行きました】 - 2016.06.06 Mon

○イントロダクション

 2016年5月31日。体育祭の片付けと振り返りが予定されている一日でしたが、福島県相馬市へ行ってきました。大震災とそれに続く原発事故ですっかり有名になってしまった辺りです。
 小学校のグラウンドにモニタリングポストが設置されていて、常時放射線が監視されています。聞けば市内の公共施設には全て設置されているということでした。それが日常になれば大人も子どもも気にならなくなる。「日常」に抗って暮らすというのは難しいことだなとふと思ったり。昨年の修学旅行で子どもたちと見た宮古市の状況を思い出したり。
IMG_3648.jpg

 さて高橋尚幸さんは、現在注目を集めている上越教育大学の西川純さんが提唱する『学び合い』(協同学習の一種で、子どもたちが教室の中で自由度高く学習課題を解決し合うものです)の、小学校における最高水準の実践者です。
 西川純さんは、アクティブラーニングに関わる最も発信力の高い実践的研究者の一人です。
 ところで、例えば管理職や研修主任のリーダーシップによって、全校を挙げて『学び合い』を実践している学校はあります。近隣でも鹿追町立笹川小学校などがそうです。しかしそうした学校ぐるみの場合を除けば、「点」で実践している実践者たちの多くは校内で『学び合い』を実践するために苦労しています。
 その苦労の中身を分析するとおおよそ二つでしょうか。

①従来型の一斉授業スタイルの授業とかけ離れているために管理職や保護者の強い難色がある
( ⇔ そこを教師自身が説得できない)。
②はじめても結果が出ず、場合によっては教室が荒れる
( ⇔ 人間関係づくりの面と学力向上の面の片方もしくは両方によって結果が出ない)。
 まあ、教室集団の関係性の問題と学力向上の問題とは明確な因果関係があるので、本来二つに分けて考えることが間違っていると思いますけれど。

 高橋さんがこうした辺りをクリアしているのは当然として、では、どのように何が機能して高橋尚幸さんの教室は、そこをブレイクスルーしているのだろうかという問いを持って、今年度の最初の教室訪問に選びました。
 結論を先に書くと『学び合い』はすばらしい可能性を持っていると実感しました。しかもそこにはやはり言語化しにくい(説明しがたい)何かがあることもわかり、むしろそれで安心しました。

 さて、高橋学級の子どもたちは、5月31日の時点で、既に十分に落ち着いてなごやかに授業ができる状況になっていました。同じく、協同・ファシリテーションをベースに授業づくりと教室づくりを一体ですすめる札幌の大野睦仁さんの学級を昨年の6月に見ましたが、彼の教室もほぼ同じ時期に見に行った時点で既に穏やかに授業をしていました。ぼくはこれで二例続けて、黄金の三日間に説諭したり、掌握のルールを敷いたりするのではない形で、教室が温和・穏和になっていく教室を見たことになります。

○身体を育てる

 16人の子どもたちは朝から体育館でドッジボールをしていましたが、とても「子どもらしい」プレイフルな雰囲気でした。この「子どもらしい」は、子どもが安心安全な状況で活動していく時のキーワードだと思っています。子どもは、安心安全な環境になると、基本的に子どもらしくなります。中学生もそうですね。その後高橋さんが、基礎的な身体運動を、太鼓でリズムを取りながらすすめていきます。太鼓に合わせてて子どもたちが動いていくという形で活動が進んでいきます。筑波小の音楽の高倉弘光さんの授業を思い出します。
 時間にして10分弱くらいでしょうか。子どもたちは太鼓に合わせながら体育館をシャトルランしたりもするのですが、決して一斉に全員で猛烈にというのではなく、思い思いに、これから一日を学校で過ごしていく自分の身体と相談しているという印象でした。一人ひとりが自分のペースでというのが早速朝から見えました。

○次はなにしようかなぁ

 もっとも、昨年、おそらく一つの完成形に到達したと思われる高橋学級についての各種のレポートや漏れ聞こえて来ていた報告に比べると、まだ始まったばかりという印象です。
 1時間目は社会(歴史)、2時間目は算数(分数の掛け算・割り算)、3時間目は国語(新出漢字)でしたが、この日は大きなチームが一つ、3人のチームが二つ、一人で学習している児童が三人という状態でした。苫野一徳さんが『教育の力』(講談社現代新書、2015)の中で提案している未来の授業形(個別化、協同化、プロジェクト化の融合」という形でいうと、既にその片鱗は見えているわけですが、質はまだまだ、です。『授業づくりネットワーク 21 インクルーシブ教育』(学事出版)に、昨年度の高橋学級の岩瀬直樹さんと渡辺貴裕さん(お二人とも東京学芸大学)の報告がありますが、あの中にあった3時間の授業枠の中で、三教科学習者が好きなペースでどこから取り組んでも構わないよ、といった状態にはまだ全く進んでいませんでした。
 今年はじめての来客だったぼくを迎えて、1時間目はワシワシと課題に取り組んでいましたが、案の定2時間目は停滞。3時間目はチームの陣容がすこし変わって(一人の子どもが自主的に前時から椅子を移動して、一人で学習するのを選びました、学習内容に合わせて学び方を自分で選ぶという形が自然に出来ていました)また全般には意欲的になるという感じです。
 高橋さんは、シラバス(学習進行表)を生徒に配付します。さらに教室には教科書の赤本も開ける状態にしてあり、子どもたちはそれに随時アクセスできます。子どもたちは思い思いのペースでそのシラバスの学習内容に取り組んでいきます。ただし、単元のテストの日時は明示されていますから、そこに向けて学びを収斂させていく仕組みはあります。この点は、ぼくの卒業制作のライティングワークショップにも似ていると思いました。
 いずれにしても、学びと言うのは、教科書がわかるところで終わるのではなく、それはせいぜいスタートラインに過ぎない。子どもたちの学び合いを見ていると、まだまだ質的には不十分だけれど、それでも既に教科書の内容を学ぶというレベルを乗り越え始めていると感じました。
 ではここからどちらへ向かうのか・・・一つの方向は、子どもたちが問い立てをする、課題を発見していくという方向だと感じます。
 一番集中力の低かったチームの女の子は、それでも実際には3時間目の国語の時間に、最後の10分くらい遊ぶようにだらだら漢字学習をしながら、「ああ、次はなにしようかな」と言っていました。
 これはものすごく象徴的な場面だと思いました。というのは従来の日本の教室では児童生徒が、次はなにしようかなという教室(授業)は、ダメなそれの典型だからです。教師が学習をコントロールできていない最たるものということになる。でも、学習者ベースの教室(授業)というのは、まさに学習者が遊ぶように学びながら、次はなにしようかな、と考える教室であるはずだ、と。
 高橋さん自身は、教材分析・教材解釈の力もとても高い先生でした。教科書をそのまま「学び合っていく」だけでは、子どもたちの意欲は持続しないだろうと、この5月の教室を見ながら既に感じます。そこから先、ぼくにはやはり知識を語るというのではないが、明確な専門性が必要になると感じました。課題はどうでもいいのではない、結局、すぐれた課題を作れる先生のところで、「学び合い」は深化する・・・そう思いました。そもそも教師は子どもたちに「学び合い」を進めていく時に、教師自身が用意する様々な要素について、自分自身が自信を持てないなら、子どもたちにやがて見抜かれてしまう。教師が、教室という場所にいるためには、どうしても、「にじみでる専門性」が必要になるはずだという確信も、高橋学級を見ながら持ちました。

○声のこと、「もったいないなあ」のこと

 1時間目の声はハイトーンで音量も大きめでした。これが高橋学級の現状の子どもたちのコミュニケーションの「声」の状況かなと考えていたのですが(本校の中一の子どもたちが協同学習に取り組む時の声の量、トーンと似ていました)、2時間目以降、声はもう少し静かな「ごにょごにょした感じ」になり、一時間目はお客さんを迎えた高揚感でそういう声になっているんだとわかりました。『学び合い』がベーシックである教室では子どもたちのコミュニケーションの声は、過剰にはならないのではということを感じました。
もう一つは髙橋さん自身が極めて限定的に抑制的にしか、子どもたちに『学び合い』の最中に関わらないということも目を惹きました。これもぼくの授業中の対応ときわめて似ていて、大変納得できました。授業中高橋さんは教室の前にある教卓で子どもたちのノートやプリントの丸付けやコメント書きをしています。ですが、子どもの様子がわかっていないわけでは無論ありません。この日は先に書いたように女子3人のチームが終始集中の状況が今一つだったのですが、そのチームに行き、学習の進度を確認しながら、短く励ましの言葉を入れます。高橋さんの励ましの言葉は「もったいないなー」です。「もったいないなー、時間は限られてるんだよ。少しでもたくさん学びたいよね」・・・これだけです。
 高橋さんは一方で、一日を通じて、「一人も見捨てない(見捨てたくない)」という言葉を一度も使いませんでした。『学び合い』ではこの言葉はトレードマークのようになっているのですが、高橋さんは一度も使いません。おそらく、皮肉なことですが、この言葉を多用している『学び合い』クラスは、苦戦しているのだろうと、以前から思っていましたので、これもとても納得がいきました。語弊を覚悟で書けば、「一人も見捨てない」は「教室の流動性」を阻みかねない言葉なわけです。「もったいない」が向けられていく対象は「一人も見捨てない」が向けられていく対象と微妙に(でもはっきり)違うと感じました。

○外から人を呼ぶことの意味

 1時間目、高橋さんがプリント印刷するために、職員室に下りる場面がありました。このとき、水筒を持ってきている子どもが、「先生いないし、水飲んじゃおう」といって水を飲むという場面がありました。その子に、『水を飲むのは禁止なの』と聴くと「うん」という返事。後で高橋さんに聞いてみると、やはり、そんなことは言っていませんでした。当たり前ですよね、自己調整しながら学習していくわけですから、自分の身体と相談しながら水が必要なら水を飲めばいい、朝の運動の時間に感じた通りです。それで、<ああ、子どもたちは、ある種の呪縛の中にいるんだなあ>と少し苦しくなりました。実は給食の時間に、一緒にご飯を食べているテーブルの子どもたちが、昨年の教室の思い出などをたくさん話してくれました。
 実は後で高橋さんが、「ぼくもはじめて聴く話だった」と言っていました。「今日はお客さんが来てくれたのである種の高揚感みたいなものもあったのかなあ」と。
 いろんな思いはどこかで言語化されていくことで、人は先に進んでいくものと思います。今日は、ぼくがいるから、だから話している(話せている)のだとすると、教室に外から人を呼び続けることの意義は大きいと、再認識しました。

○高橋先生のようにはならないんですよね

 隣の5年生クラスは、昨年高橋さんが担当していた教室です。廊下に出て時折見ていると、隣のクラスも『学び合い』でした。隣の先生が高橋実践に大いに関心を寄せていること。子どもたちが年度はじめにその先生にぜひ『学び合い』をしたいと直訴したことも聴きました。若い男性の先生で体育系ではない草食系タイプの先生です。
 その先生と休み時間に話しました。
 石川「先生、教えないことにストレスを感じないの?」
 彼「それはもう山を越えたんですけど・・・」
 石川「超えたけど?」 
 彼「でも、どうしても高橋先生のクラスみたいにならないんですよね。それがすごく悔しくて・・・」
 二つのクラスを見ていると、隣の若い先生は『学び合い』の最中でも、子どもたちの中にいる時間が高橋さんよりも圧倒的に多いと感じました。また、声のトーンは高橋さんよりも高い。『学び合い』が始まるまでの先生の説明の時間も少し長い(もっともとても短いのですが・・・高橋さんは「はい、はじめようね」くらいしかしゃべらないのです)。いろんな違いが見えました。しかし何よりも大きな違いは、高橋さんは何も言わないで教室にいると、小学生には少し怖い人に見えるだろうなということでした。隣の先生はぼくに近い、インテリ崩れの容貌で、教室にいて威圧感があったりするタイプではない。
  『学び合い』もまた、教師個々のキャラクターと切り離しようがない、というように二つのクラスを見て思いました。こわもてでない教師が子どもたちを説得していくためには、インストラクションの力が不可避になるのですが、でも、実はこの点は、この1,2年ぼくは結構ぐらぐらと揺れながら考えていることでもあるのです・・・この件は、また、いつか。
 それにしても、「それがすごく悔しくて」と言い切る、この若い先生にものすごく感動しました。職場づくりに関心を払わない数年を過ごしてきた自分の頭をガツンと叩かれるような気がしました。すてきな関係だなと思いました。

○声のコントロールとか

 さて高橋学級は、『学び合い』という新しい形を選びながら、なんというか・・・窮屈でなくて、ほのぼのとした「昔」の学校のようでした。
 これは、3月に見た岩渕恭子さんの小学校1年生教室と(あちらは一斉ベースなのですが)とても近しい印象でした(この報告の文章は最新号の『授業づくりネットワーク』に書きましたので、発刊されたらぜひ読んでみてください)。あのほのぼのとしたのどかな昔の教室の空気を岩渕学級が実現しているのは、岩渕さん自身の声のコントロールにあると感じました。そして、高橋学級は髙橋さんの声のコントロールはもちろん、発言自体の禁欲にあると感じました。禁欲という言葉は正確ではないかも知れませんが、高橋さん自身は、自分が話し続けることの危険性を良く知っているんだと思います。自己キャラの分析がしっかりできてるんでしょうね。高橋さんは今の方法じゃなくても、教室を「制圧」できる。でも、それは高橋さんが願う社会とは違うってことなんだ、と思いました。


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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
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