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2017-05

【にぼしちゃんと戯れつつ】 - 2016.04.19 Tue

 今日は家に帰ってきて、最近暇をもてあましているにぼしちゃんと少し戯れる。
 卒業生のみなさん、にぼしちゃんは元気ですよ。

0419niboshi.jpg

 今日は全国学力テストの日。
 中学校の国語A、国語Bの問題をざざーっと見ながら、この10数年の迷走ぶりに思いを馳せずには居られなくなる。

 まあ、普通、テストなんて解いてみたくないものではあるが、だが、それにしても・・・。
 解いてみたいと思えない問題の連続・・・このことに、尽きる。読みたいと思えない、と言い換えたらいいかな。
 解いてみたいと思えない問題を解くためには、取り組んでみたいと思えない、楽しくない授業の連続がなければなるまい。授業の楽しさは、子どもだけでは作れない。圧倒的な教材分析力、発問形成力、なによりも、言葉に触れることが楽しい・素晴らしいという教師自身の姿が教室の真ん中になければなるまい。

 文章を読むということが、生きていくための方策であり、仕方がない知恵なのだ、ということに成り下がっていく、そういう10数年だったんだなあと思う。
 文学を読むということは、文学が言語というものの本質を表出させるものだからだ。言語というのは絶対に「もの」ではなく、単純なコミュニケーションツールでもない。詩的言語が、言語の可能性を開いていくということを子どもたちに教えることが大切なんだということと、国がきちんと向き合わなくなったらおしまいだな。いや、向き合わないようにしようとしているのかなと勘繰りたくなる。芸術はわからないものだ。わからないこと、答えのでないものとどっぷりと向き合うことを徹底して軽視するこの国の在りようが、あからさまに見えているな。

 2000年前後、ぼくはどっぷりとメディアリテラシー教育の中心にいた。たくさんの原稿を書き、取材も受けた。ムーブメントの中心の一人だったと思う。それは、あくまでも、それまでの国語教育の流れへのアンチテーゼだった。あくまでも、それまでの主流とされてきたものについては、ちゃんとできますよ、ということが前提だったわけである。いまや、そのアンチテーゼがテーゼに変わり、これまでぼくらの国が積み上げてきたものは、ひたすら軽視され、したがって、若い人たちは、それが出来なくなり・・・。

 この大きな過ちの答えは、子どもたちの学校を離れた向こうの育ちの結果として、後数年で明らかになるだろうと思う。

 ぼくは、今年の試験を見て、自分の授業の、これからの方向が定まったようです。

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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
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