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2017-05

すべて一回性のものである、と - 2015.12.23 Wed

今日は旭川の実家を往復した。
父とうららが会うのは久しぶりで、父以上にうららが喜んだ。うららは父が大好きなのだ。
百数十キロの道中、ずうっと、安倍なつみのミュージカルソングのアルバムを聴きながら、いろんなことを考えた。旭川は、私に否応なしに内省を迫る街で、旭川への道のりは、私自身が心の奥底に向けて一歩一歩下りていくようなそういう気持ちにさせるものなのだ。それはそこで暮らした時間を、なかったことにはできず、しかし、それを、自分の未来に向けてつないでいく必要にもいつも迫られる場所だからだ。



今日考えていた色んなことの中から一つ。

記号なら代置可能だが、無論そうではない。
誰かが誰かの代わりになれるのなら、どれほど楽か。
だが一人一人みな違い、だからその一人一人との関わりも全て一回性のものだ。
芸術に深く関わる者はそれをよく知っている。
本来、一回性ゆえの苦しみが芸術の本質だからだ。

若い時に以前に指導した子どもと同じ傾向を目の前の子どもに見つけ出して得意になった。
そうしたパターンをたくさん抽出すれば、やがて同じ指導ができるようになると思った。指導の達人への道だと浅はかにも誤解した。この考え方が、相手の尊厳も、何よりも自分の尊厳も失わせると気づくのにずいぶん時間がかかってしまった。

今は知っている、自分があるいは相手があるいは誰かが、誰かと代置できる存在だ(誰かと代置される存在だ)というのは実に馬鹿げている、と。そのように代置可能な存在として自分を置くことで自分の存在意義を見つけ出そうとする人もいるのだが、それは違っているとしか言えないということも。そして、ぼく自身も気を付けなければ、そういう思考にとらわれてしまう可能性を持っていることも。

しかし、人間は記号ではなく関係性も全て一回性のものなのだ。

その厳しさを教えてくれるものが芸術である。
そしてその厳しさを生きるということが芸術的に生きるということなのだ。
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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
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