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2017-08

不織布的教室づくり…鈴木哲実学級を見る - 2014.12.07 Sun

 鈴木哲実さんの教室に行ってきた。
 佐内信之さんと一緒であるが雑誌の編集とは全く無関係だ。。
 この数年『作文と教育』誌に何度かの掲載があり、日本作文の会系の中学校実践者のエースなのだなと思っていた。また、昨年は帯広まで講座に来られることがあり、たまたまその案内フライヤーを見て、見たこともない形式の、学級通信と思しき誌面に目を奪われた。
 ぜひ教室を見せていただきたいものだと思っていたら、飲み会で同席した廣瀬崇さんが今年から同僚で、しかも机を並べているというではないか。その場でアポイントを取り、4日、ついに浦河第一中学校までお伺いすることができた。
 哲実さんの実践は、上記雑誌など、ごく一部の発信媒体を通してしか知ることは難しい。哲実さん自身が、頼まれれば引き受けるが、自分から発信をしたりはほとんどしない先生なのだ。
 で、書いているものを読んでも、その総体を捕まえることは到底無理ということが、先にわかってはいたが、実際に見てさらによくわかったことだった。
 既に400号に迫ろうかという通信は毎号A3判。哲実さん独特の熱いメッセージを含む、子どもたちの社会認識を穿ち、広げ高める意識をはっきりと持って編纂された左側ページ。そして生徒の一名の写真を大写しした誌面の上に生徒自身の日記が掲載された右側ページで構成されている。
 日記は生徒が毎日書いてくる。もっとも、当然強制ではなく、この点は日作系の日記指導にルール的に準じているが、では、哲実さんは日作の文脈に乗る教師なのかというと全く違う。日作の方から哲実実践の面白さを掘り起こして、何度も執筆を依頼しているということだろう。
 哲実さんはこの通信を読み聞かせる。読み聞かせる場面は、朝の会、国語の授業、道徳、学級活動、総合、帰りの会、多分場合によっては給食時間だったりもするはずだ、
 要するに哲実さんが学級の子どもたちに関わることのできるほぼすべての時間を活用して読む。ぼくが見に行った日に出た通信の分量は先ほど書いたサイズで3枚だ。久しぶりに見る驚異的な、まさに生活・人生と教職の営みそのものが全部くっついた教師なのである。
 懇親会で、「ぼくは今日教室を置いてここにきているんですけど、哲実さんの授業を見ているときに、置いてきた教室のことはほとんど思い出しません」というと、豪快に笑い、「おれには考えられない」と言う。
 家庭のことを考えて通信をセーブした時期には、それが原因で胃潰瘍になってしまったという。
 写真は学生時代からの趣味なのだそうだ。聞き間違いでなければ中学生時代からだ。プロ裸足のショットは、子どもたち一人一人の生き生きとした表情を見事に捕まえている。当然教室の側面にも廊下にも見事な写真がメッセージを伴って掲示されている。今は中3も同様の日記指導をしているという。
 学級通信と同様の体裁のものが、3年生の廊下にも貼られている。教科通信? である。国語という教科の枠組みを当然逸脱している。適当な言葉がないので、無茶に書いてしまえば「人間教育」を全ての関わる生徒へ行っていく教師だ。
 国語授業では、冒頭に読み聞かせがある。この読み聞かせだが、15分弱くらい普通に読んでしまう。また、必要に応じて生徒との問答があり、その日読んだ部分についての、哲実さん自身の感想と生徒への熱いメッセージが最後に必ず語られる。暑苦しいほどだ。
 また教材の進め方は全て一斉指導であり、教師との問答だ。挙手の場合もあれば指名の場合もある。思春期の男子生徒女子生徒だが、問いかけについては一切の容赦も妥協もない。反発気味の生徒がいても、どこまでも踏み込んでしまう。字面では伝わりにくい部分なのだが、とにかく驚異的だ。
 さて、徹底して教師が語り続け、子どもたちと教師を軸にして問答しつづける哲実学級だ。しかし、子どもたちの開放(解放)的な雰囲気や、子ども同士の関わりは、これも驚くほど濃密だ。今はやりの、問いを発して生徒同士が対話する場面や、ましてグループ討議・ワークショップなど一切ない日常の中で、なぜこれほどまでに子どもたちの関係が濃密になるのか…。
 これは、毎日の子どもたちの日記の中から教師が妥協なく話材を選び出し、それを教室の場に投げ出していくという日常が、そうさせているとしか言えまい。そして、その核になるのは、どの日記を選んでくるかということでもあり、哲実さんの経験やセンスだと思う。
 でも、一日拝見して感じたのは、そうした技術的なこと以上に重要なのは、教室の中に本当は潜在している濃密な子どもの感情や子ども同士の関わり・感情の交流を切り出してきて、全員で共有することによって、哲実さんが教室の物語を紡いでいこうという強固な意志なのだということだった。
 哲実さんのクラスを、Masato Yokofujiさんの織物理論に引き付けて、縦糸だけのクラスだ、とは到底言えない。もちろん一人の強烈な個性を持った教師が、強烈に個性的な手法によって教室を束ねていることは事実だ。
 しかし、ぼくには「そうだ、これは、不織布のようなクラスづくりだ」とそう思える。つまり、縦糸横糸的学級づくりと、枠組みの違うクラスづくりなのでは、ということだ。
 かつて寝食を惜しんでクラスづくりに没頭した先生方の教室はみなこうだったのか(つまり哲実学級は最後に残された古き良き時代の猛烈教師のクラスづくりなのか)。それとも、ここに、ここしばらく拾えて来なかった教室づくりのもう一つの可能性があるのか。これはちょっと真剣に考えてみたいと思う。
 「モデルはあるのですか」と問うぼくに、「『兎の眼』の安達先生」と言う哲実さんは、たしかに「教員ヤクザ」風だ。で、思わず下戸の哲実さんに、「机の下にウイスキー隠してるんですか」と言って笑われたが、そんなこんなで、では、安達先生を哲実さんがどうとらえているのかは、聞き逃してしまった。
 ところで、先に書いた物語の読み聞かせもそうだし、学級通信の読み聞かせもそうだ。また、徹底して子どもたちに考えることを要求することも、座席や班を教師がランダムに決めるか、くじなどで決めてしまうことなども、終了後曲がっている机を、教師自身が直している姿も、そうだ。写真の多用もそうだ。哲実さんが、学びの場に必要なものとして選び出してきているものの多くは、とてもぼくに似ている。
 しかし、その選び出したもの一つ一つについてのその後の対応の選択は、ことごとく哲実さんは、ぼくが選ばない方を選択する。例えば物語の読み聞かせは、ぼくは一切子どもと問答しないし、読み終わった部分の価値づけをすることもない。
 こうした違いがどこにあるのかを注意深く見ていったときに、一日の中で何度か耳にした「お前たちはまだまだガキだからな」という哲美さん特有の表現に行きついた。つまり、哲実さんにとっては、子どもたちは、社会認識を広げたり深めたり高めたりすることを教師が真剣に妥協なくしてやらねばならない対象なのだということだ。目の前の子どもを信頼しているという言い方よりも、子どもたちの可能性を信頼しているという言い方が妥当だと思う。
 懇親会の席上で哲実さんは「ぼくはぼくを育てようと思っているんだ」とストレートに語っていた。これは不遜に思う人もいるかも知れないが、ぼくにはよく伝わった。結局教える私という立場を手放さない、そこだけは、いつも確信を持って握っているということなのだ。こうした自身の社会認識や子ども認識を前提として実践を進めていくという指導・支援は、綴り方の伝統に合致するのだと思う。だから、日本作文の会が彼の実践を高く評価していくということなんだなとも思う。
 ぼくも哲実さんも中高と教師に対して絶望し、自分はああいう教師にならないようにしようと思って教師になったというところが同じだ。しかし、その先の社会認識が大きく違う。それが、彼我の行為の大きな違いになっているのだろうと思う。
 例えば、ぼくはぼくのことがあまり好きではない、子どもたちがぼくのようになってしまったらどうしようと、とても不安に思う。ずうっとぼく自身がどうしようどうしようと考え続けているぼくと、子どもたちをどうしてあげようかと考え続けている哲実さんと…ぼくの方が残念ながらストレスフルであることは、明らかだ。哲実さんは懇親会の冒頭で、「石川さんのような学び方(終日教室を見せていただく)はぼくには考えられない」と言う。そうだよなあ、とじっくり話しながらそう言い切る哲実さんが、懇親会が進むにつれてはっきりとわかってきたように思う。ぼくの学び方は、やっぱりぼく自身の不安をも背景にしているのかも知れないな。
 いや、旭川時代に、卒業期の「生徒会誌」の学級紹介で、「石川先生はひな鳥にこれでもかこれでもかと栄養を食べさせる親鳥でした」と書かれたことのトラウマが今もぼくの何かを縛っているのかも、ということまで思い出した。教えること、価値を注入することに躊躇する自分は、子どもたちを結局のところ幸せにしているのだろうか、そんなことをずうっと考えている。
 廣瀬学級で1時間道徳をさせていただいた。内容は割愛するが、いい子たち、そしていいクラスであった。ぼくは彼の年齢では、とてもこういうクラスを作れなかった。よく考え、一人一人を尊重し、そして出会いを楽しみ、感情をしっかり表現できる、そういう子たちであった。
 懇親会には、中島主税さんと同僚も誘った。今回の主たる目的ではないから、これも詳細は書かないが、中島さんは相変わらず悩み多く、一本気で、おもしろかった。再会は楽しかった。
 再会と言えば…ぼくが2000年くらいにメディアリテラシー実践で組合の全道教研に出た時、哲実さんも正会員だったのだ・・・ぼくらはこれが、二回目だったということになる。ぼくが組合をやめる決断をした全道大会である。
 哲実さんは、卒業後の生徒とは積極的に連絡を取らないという。そこもぼくと近似している。結局、自分が受け持った期間をどれだけ子どもとしっかり格闘して終えるか、それで十分なのだ。基本的には、去りゆく者たちの背中を見送る。それでいいのだろう。
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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
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