明日の教室のことを話します - 2010.03.15 Mon
事前の申し込みがふるわず、まあ、そもそもぼくは一介の田舎教師なのだし、そりゃあそんな感じだろうと思っていた。ところが直前になって、連日10名くらい申し込みがあって、あっという間に参加者は50名になってしまった。
50名もいると、参加者お一人お一人と丁寧にお話しすることが難しい。
申し訳ない気持ちだった。
13時半から17時までという長丁場である。
しかし、実際には全然時間が足りなかった。これは私には、最初からわかっていることだった。わかっていたのに、なんとかなるかなとたかをくくっていたわけで、完全に私自身のミスだったのである。
午前中の音取り(つまり譜面の音が各パートで歌えるようにすること)から参加しようと決めていた。つまり合唱コンクール指導は、音楽の授業が成立していないような環境で行われることもままあるのであり、音をどのように壮絶に取るかというのは、小学校の先生にはわかりにくいかも知れないが、中学校の荒れた学校の経験がある教師には、死活問題なのだ。
私の愛用のミニキーボードも持参し、それで音を取っていった。そこもビデオを回したので、DVDに収録されるのかなと思う。
午後最初のコマは合唱で、正味45分で結局1番と最後しか指導できなかった。2番の歌詞に触れて指導する時間的な余裕はなかった。
普段そのようにすることはまず考えられないが、45分ノンストップの立ちっぱなしであった。
みんな疲れただろう。
私にとって合唱というのは、肉体的には、スポーツのようなものである。歌い終わるとへとへとになる。そういうものでもある。
指導は70点くらいである。
話したいこと、指導の中で実際にやっていることの7割くらいだったという意味だ。
午前の短い時間で低音パートの音を完全に取るのは難しかった。
これは、全体指導の中で折々に取っていく。このやり方がぼくは学級合唱コンクールについては、合理的だと思っている。ピアニストがすばらしく技量が高く、即応力にすぐれた方で助かった。ほんとに素晴らしい音色のピアノで・・・これは感謝以外になかった。
ぼくの合唱指導の最大のポイントは、場をどんどん変えるということだ。
二階と一階で歌わせたり、歌い手を前に出して聞かせて感想を述べさせたり、隣同士でミニディスカッションさせたり…。男女差し向かいにしたり、広い所にぽつんぽつんと立たせたり、円陣にしたり、各パートをごちゃごちゃにしたり…しかし、この日はそのどれもやらなかった。まあ、条件的にもやれなかったのである。
だが、とにかく教員対象の研修会で、実際に合唱指導するのはこれで終わりである。研修会で、子どもと関係のない形で行う合唱指導は、もう二度とやらないつもりだ。
後は興味のある人は、ぼくが学校でやっているのを見に来るか、どこかの学校の生徒を対象とした指導に呼んでいただくか、まあ、そういうことである。
合唱に時間を取られ過ぎて、その後のオムニバス国語授業は、いささか消化不良だった。持っていった絵本も一冊も読めなかった。極めて心残りである。これは、可能ならいつかリターンマッチしたい。対談も、駆け足になった。全部、私の配分見通しの甘さからである。
特に国語は・・・。
私は国語の教師なのである。合唱など余技に過ぎない。私のオムニバス型国語は、すぐれているかどうかは別にして、いまや完全に私のオリジナルである。なぜそうなっているのかということにもやはりはっきりとした理由がある。また、ミニワークショップ型授業や、合法的立ち歩き(これもできなかった)は、十分な検討にさらされることを待っているものである。
結局提案としての体裁をなさないために十分な議論にもならず、非力を痛感する。
ああ。アウェーである。アウェーは苦手なのだ。
とはいえ、明日の教室の参加者は極めて熱心で、しかも、貪欲で、好意的な人たちだった。
長く続いてきた研修会だけが持つことができる、可塑性の高い柔軟な集団であった。居心地の良い場である。
会場には、どういうわけだかそうそうたる先生が。
山川さん、野中さん、古川さん、佐藤さん、長瀬さん・・・。他にもたくさん・・・。
この忙しい時期に来ていただいて感謝以外の何物でもなく・・・。
糸井さん、池田さん、平井さんには、特別にお世話になった。
かつての学級合唱指導の音源は数名の方だけに見聴きしていただけたが、さて、どんな感想を持たれただろうか。
糸井さんとは、以前からお聞きしたかった秋吉敏子さんをお招きした時の話を直接おうかがいすることができた。
私はご本人にも直接お話ししたが、あの秋吉さんを京都駅? までお送りした瞬間が、日本の実践史に残る、新しい実践の生まれた瞬間だと考えている。それは、はまさんの単元学習の生まれた瞬間(『授業を創る』)のようなレベル・質のお仕事である。直接おうかがいできて、幸せな瞬間であった。
事務局の方々のはからいで、野中先生と相部屋で宿泊させていただいた。久々に、野中先生とじっくりゆっくりお話しできたことがうれしかった。
そう、私の今の興味は、「生き残り」「生き抜く」を越えた、「乗り越え方」にある。若い先生方に、乗り越える発想の必要と道筋の示し方を、と考えているのである。
みなさん、本当にありがとうございました。
またお会いしましょう。
あ、とりあえずは、早速来週、NW関東集会でお会いしましょう。
50名もいると、参加者お一人お一人と丁寧にお話しすることが難しい。
申し訳ない気持ちだった。
13時半から17時までという長丁場である。
しかし、実際には全然時間が足りなかった。これは私には、最初からわかっていることだった。わかっていたのに、なんとかなるかなとたかをくくっていたわけで、完全に私自身のミスだったのである。
午前中の音取り(つまり譜面の音が各パートで歌えるようにすること)から参加しようと決めていた。つまり合唱コンクール指導は、音楽の授業が成立していないような環境で行われることもままあるのであり、音をどのように壮絶に取るかというのは、小学校の先生にはわかりにくいかも知れないが、中学校の荒れた学校の経験がある教師には、死活問題なのだ。
私の愛用のミニキーボードも持参し、それで音を取っていった。そこもビデオを回したので、DVDに収録されるのかなと思う。
午後最初のコマは合唱で、正味45分で結局1番と最後しか指導できなかった。2番の歌詞に触れて指導する時間的な余裕はなかった。
普段そのようにすることはまず考えられないが、45分ノンストップの立ちっぱなしであった。
みんな疲れただろう。
私にとって合唱というのは、肉体的には、スポーツのようなものである。歌い終わるとへとへとになる。そういうものでもある。
指導は70点くらいである。
話したいこと、指導の中で実際にやっていることの7割くらいだったという意味だ。
午前の短い時間で低音パートの音を完全に取るのは難しかった。
これは、全体指導の中で折々に取っていく。このやり方がぼくは学級合唱コンクールについては、合理的だと思っている。ピアニストがすばらしく技量が高く、即応力にすぐれた方で助かった。ほんとに素晴らしい音色のピアノで・・・これは感謝以外になかった。
ぼくの合唱指導の最大のポイントは、場をどんどん変えるということだ。
二階と一階で歌わせたり、歌い手を前に出して聞かせて感想を述べさせたり、隣同士でミニディスカッションさせたり…。男女差し向かいにしたり、広い所にぽつんぽつんと立たせたり、円陣にしたり、各パートをごちゃごちゃにしたり…しかし、この日はそのどれもやらなかった。まあ、条件的にもやれなかったのである。
だが、とにかく教員対象の研修会で、実際に合唱指導するのはこれで終わりである。研修会で、子どもと関係のない形で行う合唱指導は、もう二度とやらないつもりだ。
後は興味のある人は、ぼくが学校でやっているのを見に来るか、どこかの学校の生徒を対象とした指導に呼んでいただくか、まあ、そういうことである。
合唱に時間を取られ過ぎて、その後のオムニバス国語授業は、いささか消化不良だった。持っていった絵本も一冊も読めなかった。極めて心残りである。これは、可能ならいつかリターンマッチしたい。対談も、駆け足になった。全部、私の配分見通しの甘さからである。
特に国語は・・・。
私は国語の教師なのである。合唱など余技に過ぎない。私のオムニバス型国語は、すぐれているかどうかは別にして、いまや完全に私のオリジナルである。なぜそうなっているのかということにもやはりはっきりとした理由がある。また、ミニワークショップ型授業や、合法的立ち歩き(これもできなかった)は、十分な検討にさらされることを待っているものである。
結局提案としての体裁をなさないために十分な議論にもならず、非力を痛感する。
ああ。アウェーである。アウェーは苦手なのだ。
とはいえ、明日の教室の参加者は極めて熱心で、しかも、貪欲で、好意的な人たちだった。
長く続いてきた研修会だけが持つことができる、可塑性の高い柔軟な集団であった。居心地の良い場である。
会場には、どういうわけだかそうそうたる先生が。
山川さん、野中さん、古川さん、佐藤さん、長瀬さん・・・。他にもたくさん・・・。
この忙しい時期に来ていただいて感謝以外の何物でもなく・・・。
糸井さん、池田さん、平井さんには、特別にお世話になった。
かつての学級合唱指導の音源は数名の方だけに見聴きしていただけたが、さて、どんな感想を持たれただろうか。
糸井さんとは、以前からお聞きしたかった秋吉敏子さんをお招きした時の話を直接おうかがいすることができた。
私はご本人にも直接お話ししたが、あの秋吉さんを京都駅? までお送りした瞬間が、日本の実践史に残る、新しい実践の生まれた瞬間だと考えている。それは、はまさんの単元学習の生まれた瞬間(『授業を創る』)のようなレベル・質のお仕事である。直接おうかがいできて、幸せな瞬間であった。
事務局の方々のはからいで、野中先生と相部屋で宿泊させていただいた。久々に、野中先生とじっくりゆっくりお話しできたことがうれしかった。
そう、私の今の興味は、「生き残り」「生き抜く」を越えた、「乗り越え方」にある。若い先生方に、乗り越える発想の必要と道筋の示し方を、と考えているのである。
みなさん、本当にありがとうございました。
またお会いしましょう。
あ、とりあえずは、早速来週、NW関東集会でお会いしましょう。
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● COMMENT ●
ありがとうございました。
ありがとうございました
石川さん、「アウェー」でのご指導ありがとうございました。
久々に「石川節」を聞かせていただきました。
わたしは、①鼎談②合唱指導③国語模擬授業の順に面白かったです。
東京には、今年は行くことができませんが、また近いうちにお話を聞かせてください。楽しみにしています。
久々に「石川節」を聞かせていただきました。
わたしは、①鼎談②合唱指導③国語模擬授業の順に面白かったです。
東京には、今年は行くことができませんが、また近いうちにお話を聞かせてください。楽しみにしています。
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事実を見て、ことばにする。
指導というのはこういうことなのだと、とてもシンプルな姿を見せていただきました。ありがとうございました。
また、東京で週末に(^^)。