topimagetopimagetopimagetopimagetopimagetopimagetopimagetopimage

2017-10

「今日はおれ体調悪いんだ」 - 2012.04.25 Wed

 「今日はおれ体調悪いんだ」と、体調が悪い日は、生徒に話す事にしている。
 歯が痛い時は、歯が痛いというので、卒業のメッセージの中で生徒の中には、「先生歯医者だけは行った方がいいです」と書いてきた人もいた。

 いろんな本に、「教師は生徒の前では元気な笑顔で立ちなさい」と書かれている。
 ぼくは若い時から、この話に結構感情的と言えるほど反発したい感情を抱えていた。

 若い時は、「それはとてもじゃないけど無理」ってことであった。
 今は「教師が生活や日常と切り離されたところでほんとの仕事はできないだろう」ということである。

 機嫌が悪くて生徒にあたったりすることはない(自分ではないと思う)。
 体調が悪くて、「ごめん、おれ今日ちょっと体調悪いんで、プリント配付するから」というのは年に1,2回くらいある。生徒は、ちゃんとわかって、「しょうがないね」といってプリントをやってくれる。

 教師が「体調が悪い日に元気を装う」のと「体調が悪い日に正直に話す」のと、どちらがどうかというと、どっちもどっちじゃないかと思う。それなら、装うよりは正直である方が、過ごしやすい。

 結局、ぼくの経験から言えば、教師然としてふるまってよかったなあと思うことは、少なかった。率直である方が、正直である方が、最終的には、よい結果を生むことが多かった。

 もう少し広げて書けば…。教室には、体調が悪い子も心が弱っている子もいる。いつも元気で明るい先生には相談しにくい生徒もちゃんといる。それはどれだけいるかという「量」の問題ではない。全て個別の問題である。個別の問題に対応していくには、もちろん教室における公とのバランスは必要だが、自分が何よりもまず生活を背景とする「個人」でなければならないとぼくは考えている。

 ぼくは大学を受験する時、残り一か月半を前にして、ほとんど勉強もせず点数も全然取れていなかった。模試で同じくらいの成績の友人は、さっさと予備校の特待生扱いを確保して浪人体制に入っていたりした。その時、多分生涯で唯一、ぼくは担任に相談したのである。うだつのあがらない風体のなんとも頼りなげな英語の先生だった。まともに話した事はそれまで一度もなかったと思う。
 「受験勉強したいので冬休みまでの2週間学校休みます」と言った(ほんとに休んだのだ)。
 そして「・・・先生、ぼく受かると思いますか」と訊いた。
 先生は、ぼくの顔をしっかり見て、「大丈夫だ、きみは受かる」と言ったのだ。
 あの日あの時の先生の言葉がなければ、多分ぼくは残り一か月半、集中して勉強することはなかっただろうと思う。だが、ぼくにとって重要だったのは、その担任が限りなく頼りなさげで、うだつの上がらない風体の人だったことだ。明るく元気な人だったら、ぼくは相談しなかっただろうと思う。

 ぼくが上に書いてきたことは、まあ、そんなような程度の話である。


Uh Baby BabyUh Baby Baby
(2011/10/26)
種ともこ

商品詳細を見る

 最初あまり気にいらなかったのだが、結構聴きやすいアルバムで、午後の時間にはなんだかとてもよい。


EnsaladasEnsaladas
(2000/02/23)
Hesperion XX

商品詳細を見る

スポンサーサイト

● COMMENT ●

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

こんにちは。ぼくときっと同じことを考えているのでは、と思いました。そのようにして、よくない結果を招くことはありませんね。若い先生にはしゃくし定規に考えたり、何かを押し殺してガンバリズムに走らないでほしいなあと願っています。

共感

良いなと思いました。
僕も、辛いときはつらいといってしまうタイプなので・・・。

晋さんの考えは、よく分かる。
間違っていないだろうと思う。
それでも、僕は、明るく元気な顔で子どもたちの前に立とうと言う。
人を元気にするためには、
何より自分が元気でないといけないと思うから。
小学校と中学校の違いであるのだろうか。
だから、僕は、遅くまで仕事をするな、とも言う。
美味しいものを食べて、コンサートに行け、
と言う。
自分に元気のエネルギーを入れろ、と言う。
ただし、僕も教壇に立つのが疲れてしんどいときは、
「今日は先生はしんどいから、そっとしておいてね。」
と、言ってきたが。

Re: タイトルなし

 多賀さん、結局ぼくがいいたいのは、ぼくらは、しんどいから今日はダメと言っているわけだけど、若いもんたちは、どうも、スローガンを真に受けてるらしいなってことですね。マニュアル思考だと言えばそれまでですが、若い時にマニュアル思考に染まったものは、それを乗り越えていくのは難しいだろうなというのが、一貫したぼくの主張です。
 3・7・30・90も、わかっているものは、「まあまあ弾力運用しながらやっていきまっか」ということでそれで行ける。問題は「それだけ」しか行けない思考を持った者ですよね。

その通り。
若手は、そこで思考停止に陥るということだと思います。あえてああいうふうに書いたのは、そのまま受け取る先生がいるんじゃないかなと思ったからです。
結局、僕の言うことも、晋さんの言うことも、子どもとつきあいながら動いていくべきことなんだけど、若手は、その辺をどう考えるのだろうか。
これは、新しい教育の手法においても、不易の教育においても、同じことが言えるのではないでしょうか。
おそらく、二人とも、ずっとどちらもやってきたんじゃないかなと、思っています。


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://suponjinokokoro.blog112.fc2.com/tb.php/1373-81a505b0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

尾崎亜美”ピア ノワール”…そして、考えることばかり «  | BLOG TOP |  » メモ・・・世の中の流れと隔絶しているわけではなく

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

FC2カウンター

最新記事

プロフィール

石川晋

Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
ぼくにできそうなことは、どんどんお受けしますので、遠慮なくお知らせください。FBのメッセンジャーが一番確実です!

月別アーカイブ

最新コメント

カテゴリ

未分類 (50)
教育 (2173)
音楽 (265)
雑記 (341)
映画 (15)
読書 (31)
美術 (15)
研究会等 (10)
自然保護 (9)
CD&DVD (0)
育児 (30)
自然 (82)
対話 (7)
思考 (36)
演劇 (5)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード