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2017-10

向谷地生良『べてるな人びと』、坂内智之『放射線になんか、まけないぞ』、塔和子『記憶の川で』 - 2012.01.09 Mon

 会場が寒く、さすがに体力のないぼくは、夜の部屋も含めて、あまり思ったように仕事はできなかった。
 でも本は行き帰りのバスや夜などずいぶん読めた。
 後半読んだ本。


放射線になんか、まけないぞ!: イラストブック放射線になんか、まけないぞ!: イラストブック
(2011/12/26)
坂内 智之

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 坂内さんの執筆による小学生に向けた放射線理解の本。「世界でいちばん放射線にくわしい小学生になれるキミへ」というメッセージ。大変わかりやすく、私もあやふやなところが結構あるから、勉強になる。中学生にも読ませたい。もう数冊購入して教室に置こうかな。
 坂内さんのアプローチは、「科学的に」「客観的に」ということだ。これは、科学的な思考を教育の根っこにすえていかなきゃいけないという意味でも全く正しい。
 だがな、とぼくは思う。人の感情というのはもっと多様で複雑で、時に愚かだとも思うのだ。慰安婦問題の時に、深夜まで激論した高野山の宿坊で、ぼくが最後まで藤岡信勝さんの「国家として徴用した証拠はどこにもない」という主張に違和感を持ち続けた日のことを、今も時々思い出す。福島県産の野菜を買い控える一般市民の心情や感情は、科学的でなく無知だと、私は笑えない、断じることもできない。アメリカの州の一部が、進化論ではなく、創造論を学校で教えることについても、笑えない、断じられない。
 正しさだけで説明できない、正しさだけで解決できない。そのことをも改めて考えさせられる一冊であった。坂内さん、頓珍漢なことを書いていると笑ってください。とにかく、おすすめ。


塔和子全詩集 (第3巻)塔和子全詩集 (第3巻)
(2006/04)
塔 和子

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 塔和子の『記憶の川で』(編集工房ノア)を読む。ハンセン病患者として、療養所に隔離され、そこからたくさんの詩集を発表し続けてきた人。この詩集で高見順賞。今は、全詩集の中で読むことになり、詩集単体での購入は難しいようだ。
 では、ハンセン病の元患者としての苦しみの中から生まれてきた詩という文脈を添えなければ、価値の下がる詩なのかといえば、断じてそんなことはない。日常の中での思索を平明なことばで切々と歌うすぐれた詩人だと改めて思う。
「ただひたすらに虫であろうとするだけ/何代も何代も虫であった/何代も何代も虫である虫が/何も言わずにすごした時間をになって/いま青い炎のように鳴いている (「青い炎のように」より)」
 といったことばに出会う時、わが身と虫とを重ね合わせて語る…などというわかりきったような説明を排除する、宿命や情念を感じるのは私だけではあるまい。


べてるな人びと 第1集べてるな人びと 第1集
(2008/07)
向谷地 生良

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 帰りのバスは、久しぶりにべてるの家の向谷地さんの本を読んだ。
 行きのバスで読んだ『学校は雑木林』と、ちょうど入口と出口のような感じで、バスの中で、今日も何度か読みながら一人涙ぐんでしまった。
 向谷地さんは、こう説明する。

  べてるの家の「弱さの情報公開」で最もわかりやすいのが、陸上競技のリレーの譬えで
 ある。(中略)べてるの家では、それが成り立たない。なぜなら、一人ひとりが走ること
 が出来る距離とスピードが異なるからである。それを無視し、一律に100メートルを走
 れる能力を獲得することを強いると、そこには混乱が起きて、バトンはつながらなくなり、
 その場にはお互いに責めあいと対立が起きる。そこで威力を発揮するのが「弱さの情報公
 開」である。その原理は、簡単明瞭である。自分の走ることの出来る距離とスピードを事
 前に明らかにすることである。(中略)大切なのは、五〇メートルを走った人が、八〇メ
 ートルを走った人と比べて劣っているという有りがちな競争原理をもちこまないことであ
 る。五〇メートルを走る人があってこそ、自分の力-走ることの出来る距離-が活かされ
 るのである。(中略)「弱さの情報公開」で大切なのは、「弱さ」とは、強さに向かう通
 過点でも克服されるべきものでもなく、「弱さ」そのものが価値と可能性を孕んでいるこ
 とを知ることである。

 この当たり前のことが、ほぼ理解されない場所、それが「学校」だ。
 勉強ができるようにしてあげること、学校に来ない子が来れるようにしてあげること、「できないよりも出来る方がいいでしょ」という「善意」が限りない苦しみや、無言の同調圧力を生み出していくことに無自覚な場所、それが「学校」という場所なのだ。
 もちろん私は、このような問いを立て、このような問いに正対していくことで、教師としての自分自体の存在があやぶまれる自体になっていくことを知らないわけではない。私が行きつこうとしているところが極めて厳しい一点であることは、十分にわかっているつもりである。
 しかし、数年前に訪れたべてるの家で受けた緩やかな衝撃は、今も私のそれまでの価値観をずるずるだらだらと地滑りさせているのである。

 「無力」ということの意味をはじめて心の底から味わった(別な本では、「絶望」できるという表現を使っていたと思う)向谷地さんは、クライアントが求めている「安心」は、「決して私の努力の賜物としてもたらされてはいけないという、あたり前のことを知らされたような気がする」と書いている。この言葉を今一度かみしめてみようと思う。

 明日は、国語サークル一泊研。一泊はしないが、初日の事後検討会のファシリテーションをすることになっている。
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Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
ぼくにできそうなことは、どんどんお受けしますので、遠慮なくお知らせください。FBのメッセンジャーが一番確実です!

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