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2018-02

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教師教育メールマガジン65号、松田剛史さんです! - 2018.02.13 Tue

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メールマガジン「教師教育を考える会」65号
           2018年2月13日発行
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
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「ライフストーリーから見つけた!」
北海道大学大学院/
ソーシャルベンチャーあんじょう家本舗
松田 剛史
http://www.mag2.com/m/0000158144.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 65号は、松田剛史さん(北海道大学大学院/ソーシャルベ
ンチャーあんじょう家本舗代表)。ファシリテーターとして、
北海道に教師教育の新しい動きを作り始めている方、です。
                      (石川 晋)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 経験からみる「教師」

1-1 プロローグ
 北海道に移り住んで20年目を迎える。今は道内4カ所めとな
る安平(あびら)町に住んでいる。ここは夏涼しく,冬の積雪
が少ない地域。新千歳空港に近く,札幌にも通勤圏内という立
地が気に入ってここに移住したのが2010年だった。以降,地域
連携や学校に入ってカリキュラムを編成するなどの業務を請け
負うNPOを運営しながら,フリーランス教員として主に大学の
非常勤講師をしているが,それまでの12年間は中学校教員をし
ながら市民活動にも多くかかわっていた。学校教員になった頃
は,世間のようすと学校文化との違いに戸惑っていたが,徐々
にその違いにも熟れていき,いつしか学校の文脈で思考し,話
していることに気づいた。これは悪いことではないのだが,な
ぜだか「ちょっと距離を取ろう」と思ったのが,ESD(持続可
能な開発のための教育:以下,ESD)研究に力を入れていた大
学院修士課程在籍の頃(2007年)だった。

1-2 塾の講師
 もともと教員志望というよりは,大好きな社会科を教える仕
事がしたかった。
 大学2回生のときに学習塾の非常勤講師として採用され,曜
日ごとに周辺都市にいくつも点在する教室を渡り歩き,空いて
いる日にもコマを入れるために他塾にも応募して毎日どこかの
塾で子どもたちに社会科を教えた。社会科主任として全教室の
教材指導の統括もするようにもなった。主に中学生とかかわる
毎日は楽しく,そして社会科を教えることに生きがいを感じて
いた。就職活動もせず,教員免許も取得しないまま大学を卒業
し,学生時代と同じようにいろんな塾で非常勤として働くフ
リーランス講師としての生活をしていたが,ふと「あれ?これ
いつまで続けんの?!」との思いが頭をよぎった。すぐにコン
ビニの就職情報を手に取り,見つけた会社に応募して採用が決
まったのが進学塾の専任講師。「これまでの講師実績がものを
言ったんだな」と思っていたが,ただガッツがありそうだとい
うことで採用されたのだそうな。教科は小中の国語科全般と小
学校の初級算数科,中学校の初級英語科。社会科はオマケだと
言われた。灘中・高の合格を目指した進学塾である。そんな子
どもたちを指導するのだから,必死になって毎日励んだ。人生
で一番勉強したのはこの頃だったと思う。入社してすぐ,阪
神・淡路大震災が発生し,神戸・阪神間地区にあった会社は相
当なダメージを被った。神戸に親戚が多いわたしは,すぐに被
災地に入ったが,目にしたのは想像を絶する光景であった。そ
れとともに,避難所でボランティアとして活動する同年代の若
者の姿がそこかしこに見られた。会社に出向き「わたしもボラ
ンティアに行かせてほしい」と申し出たら「ダメだ。まずは会
社を立て直すのが先決。会社員として当然のことだ。」と。今
ならその論理もわからないでもないが,当時は悔しく,やるせ
ない思いでいっぱいだったし,情けない自分に歯がゆい思いを
した。ボランティア元年と言われる1995年だが,自分としても
市民活動に関心をもつきっかけとなった。なんとか会社も持ち
直し,4月から授業が始まった。そうすると「学校でこんなこ
とも教えてないの?!学校なにやってんの!?」という言葉が
講師たちから毎日のように聞かれた。講師の多くは民間企業で
の営業や企画などの叩き上げ。教員免許をもっている講師は少
ない。志望校に合格させるため一所懸命に学習指導するのは子
どもたちの将来のためであると同時に,会社の経営維持のため
でもある。すなわち「仕事」「業務」であり,民間企業として
は当たり前のことである(悪い意味ではない)。そうとは思い
つつも,「これでいいのだろうか?」と思い始めた。程なく
「学校って本当にそんなにどうしようもない所なの?」という
疑問を確かめようと学校教員になることを決意し,教員免許取
得に再度乗り出す。不足単位を取るだけだったので,免許はす
ぐに取得できたが,教員採用試験に合格するためには数年を要
すると考えて会社を退職。フリーターをしながら教採の勉強を
しようと思っていたのだが,程なく移動販売のたこ焼き屋を開
業してしまう。これが繁盛した。となれば「本格的に店を構え
よう!」と実家を改装していた最中,既に教採に合格(必ず採
用とはならない「B採用」だったので「また来年かな」と思っ
ていた)していた北海道での赴任先が決まってしまい,人口
1,500人程の小さな村の中学校に赴任した。

1-3 中学校で学習指導する「教師」
 一般大学で免許を取得したためか,学校がどんなところか全
くわからないまま飛び込んだ。そしたら毎日驚くことばかり。
大阪出身のわたしにとっては異境の地だから,もしくは小さな
村だから,ということで自分を納得させていたが,だんだんと
違和感が大きくなっていった。授業でも「教え方」を工夫しよ
うといろいろと試みたが子どもにはあまり響かず,同僚や管理
職からもあまり理解は得られなかった。アイヌ民族を題材にし
た公民的分野での研究授業では「寝た子を起こすんじゃない」
と管理職から嗜められたりもした。異動で赴任した次の学校で
は生徒指導にかなりの力を入れていたが,そこここで「指導」
という名の見せしめを行っていることに違和感を感じながらも,
「考える社会科」をもっと追究したいと思い始めた。転籍した
次の学校は教育大学附属校ということもあって研究の緻密さに
慌てふためく毎日を送りながらも,「学習者が主体的に学びを
獲得する社会科」を模索し始め,大学院に学内留学した時期に
本格的に考える時間をもった。修士論文は,主に学校教育にお
けるESDにかかわる学習をテーマとした研究だったが,さらに
社会教育の側面からも追究したいと考え,博士課程への進学を
決め,教員を退職し,持続可能な社会を目指す学びの場づくり
を行うNPOを立ち上げた。退職間際に大学と高校から非常勤講
師の依頼があったのでお世話になることにした。「教える社会
科」から「使える社会科」への転換を意識した教員の在り方を
模索したいと強く思い始めたのもこの頃だったので,大学での
教科教育法の授業を担当できたのはタイミングがよかった。も
ちろん「使える社会科」とは,身につけたことを日常や社会の
中で当たり前のこととして活用していける(使える)力という
ことである。

1-4 大学で学習指導をする「教師」
 2010年以降,主に大学の教職課程で教科教育法を中心に担当
依頼が増加し,現在は5つの大学でレギュラー講義を年間26コ
マ担当している。昨年度からは初年次教育の必修科目も担当し,
目的意識が共通ではない学生の指導にもあたり,「教師とは何
か」について日々勉強をさせてもらっている感がある。
 大学生がこれまで歩んできた学習歴を紐解くと,多くの学生
が言うには「正解」を教員から教えてもらう授業が多かったと
いうことである。要するに,先生は「正解」をもっていて,そ
の「正解」さえ獲得(覚える?)すれば学んだということにな
ると。とすれば,教員はその「正解」さえ「教え」ていればい
いということになるが,教員ってのはそうではないはずである。
AIでも代用できるような「正解」を「教え」ることは,教員の
本分ではないと思いたい。
 業務柄,教職課程の学生の学習指導案の作成や公開された模
擬授業を指導することがよくある。黒板に書いたことをノート
に写させ,教科書を読ませ,1つの正解しかない問いを発し,
誰か1人の生徒役から発せられる正解を全体が理解したと曲解
し,「みんなわかった?」という教員の自己満足確認の作業を
経て,教員自らでまとめをして終わる授業をほぼ全ての学生が
行う。一体ここから何を身に付け,公民的資質はどう養われて
いくと思っているのだろうか。その後数ヶ月をかけて学生自身
が「必要」だと認識する授業づくりをするのだが,ここであら
ためて思うことは「人は経験したことをなぞる」ということで
ある。これは「学ぶ」が「真似る」と同源であるといわれてい
るように,マネをすることから学びが始まるということを意味
している。教職課程の学生も,自分が児童生徒時代に経験して
きた学校での授業を真似るところから始めるのである。それで
よしとするのか,それとも自らの意図や目的を取り入れながら
「信念」をもって授業のあり方を変容させていくのかで,その
後出会うこととなる児童生徒たちの学びの価値を決定づけるこ
とにもなる。教員の仕事が子どもの人生に,そして社会そのも
のへと影響を与えているのだなあと毎年実感させられる。

2 教育と学習と「教師」

2-1 「教師」は授業で何を指導するのか
 学校教育における1単位時間の授業で教員が何を指導するの
か。そして生徒はどのように学んでいるのか。前章でも少しふ
れたが,生徒は,教員が黒板に書いた学習内容のサマリーを
ノートに写し取り,その説明を教員から聞き,教員によってま
とめられた「今日のまとめ」をこれまたノートに書き取る。こ
れを毎時積み重ね,重要だとされる教科書の「太字」をその意
義や関連性も見いださないままにただ暗記して丸呑みにし,テ
ストで吐き出すということを繰り返す。社会科として,この作
業にはどれくらいの価値があるのだろうか。
 教員の仕事の第一はもちろん「授業」を行うことである。授
業とは「何かを教えること」とも言えるが,それが全てではな
い。子どもたちは年間千時間以上の授業において,何に気付き,
何を得,何ができるようになっているのであろうか。それはど
こで使えるようになり,どのようにして日々の生活や成長の中
で活かしているのであろうか。これは,中教審答申(2017年)
および今次改訂の学習指導要領(小・中学校)において,「何
を学ぶか」から「何ができるようになるか」への重点移動とし
ても示されているし,21世紀型能力の根底に位置づく学びを意
味している。つまり,授業での学びは「教え」られるコンテン
ツ中心の学びから,人生や社会で使える資質や能力・態度をは
ぐくむコンピテンシー・ベースの学びへとシフトしようという
のである。となれば,教員は授業で「何を」指導するのであろ
うか。教科書を教えていればいいということではなさそうであ
る。かといって,最近言葉が一人歩きしている「アクティブ・
ラーニング」だ!と言って,ただ表向き話し合っているように
見える中身のないグループワークをしていればよいということ
でもない。
 「誰のため」「何のため」そして「なぜ学ぶのか」がはっき
りとしていることがこれからの授業スタンスとして求められ,
身に付けさせたい力は何であるのかを明確にし,「体験的」な
学びを重視し,「主体的に問題を解決する力」を養うことが授
業づくりにおいて必要となる。これは次節「ESD」においても
同様である。

2-2 持続可能な開発のための教育(ESD)と「教師」
 ESDとは,「現代社会の公正」と「未来社会への公平」を同
時に満たす社会の形成を目指すために必要となる考え方,知識,
能力,態度などを養う教育的視点である。これらを養うには,
学習者が主体的に考え,他者との対話を通して多様な価値観か
ら自らの視野を広げ,社会の一員としての身につけたい資質・
能力(=公民的資質:社会科系統の教科目標における最大のポ
イント)を見いだし,獲得し,共有するための「ともに深める
学びの機会」を大切にしたい。しかしそれは,学校教育におけ
る教科・領域に分けられた縦割りの学びだけでなく,教科・領
域横断的な学習を始めとした学ぶ機会の連結や融合,学校内外
との連携,そして「何を学ぶのか」から「何を身につけるのか」
を意識した総合的な学びの場(機会)を有効に機能させるため
のマネジメント能力が教員各自だけでなく学校という組織体に
は求められるということである。また,持続可能な社会づくり
を担う人材育成は,学校とともに主たる教育の場である家庭や
地域,そして企業や団体などでも重要であると考えると,閉鎖
的に学校の中だけで教育活動を展開していても実際としては効
果的であるとは言えない。ESDが目指すところと中教審の議論
や今次改訂の学習指導要領が言わんとすることは意を別にする
とは言い難い。とすると,ESDは教育界のトレンドということ
になる。しかし,ESDは「実践する」ものではなく「整理視点」
であるので,何か教育活動を新たに始めるということではな
い。従来から本質的で現在的・未来志向的な学習を系統的かつ
有為のうちに教育課程に位置づけているのであれば,それはす
なわちESDである。ゆえに,「うちの学校ではESDの実践をして
います」ではなく,「結果的にうちの学校はESDでしたね」と
いうことになる。いわば,学校の中で「誰のための」「何のた
めの」そして「なぜ行うのか」が明確に整理・共有できている
のであれば,ESDをわざわざ掲げなくてもいいし,ESDという言
葉自体も必要ない。教員として必要な意識のひとつとして大切
な視点となるのではないだろうか。

2-3 自らの学びの見える化を支援する「教師」
 学習者は自己の学びを学習内容(何を学ぶか)だけではなく,
学び方,学びに向う意識のあり方,多様な他者との接点からく
る価値観の広がりと獲得する学びの深まりなど,自ら「獲得」
する学びへの転換が必要であり,またこれは,受け身ではなく
能動的な学びの場を構築(マネジメント)できる教員が必要と
なるということを意味している。教員を養成する大学の教職課
程においても,前述の現状を打破し,課題を解決するための授
業の工夫をどのように大学教員が意識し,実践していくかは将
来世代に対する責任であると言っていい。
 そのためにも,学習者が自らの手で「何を学んだか/学べて
いないか」「何ができるようになったか/なっていないのか」
を見取り,「何ができるようになりたいのか」「そのために何
が必要なのか」を自ら見いだすためのサポートを教員が行う必
要がある。リフレクション活動とポートフォリオ評価である。
その手だてや詳細はここでは割愛するが,成績評価のためのそ
れではなく,学習者が学びのセルフ・マネジメントができる力
をはぐくむための学習支援や学習環境整備に意識を向けること
が教員にとって重要であるということである。
 わたし自身,この2年間で1000人以上の学生を対象にリフレ
クションとポートフォリオによる学びのセルフ・マネジメント
を実践してみた。1セメスター15回,毎講義時に学生は自らリ
フレクション(感想ではない)をし,途中で形成的評価の場面,
最終回に総括的評価の場面を設定した。概ね学びに向う力は伸
びているように思えるが,その反面,このような活動に慣れて
いない学生やコンテンツ主義の学生にとっては何ら意味のない
「無駄」な作業・時間としてしか捉えられない。また,適当な
感想や誰にでもあてはまる模範的な記述を毎回残している学生
にとっては,形成的・総括的評価において,自らの学びの軌跡
を見取ることはほぼ不可能となる。勉強とは「教え」られるも
のであり,評価とは「教師」がするもの,という凝り固まった
概念を打ち破るために,わたしたち教員には何が必要なのだろ
うか。これもまた自ら問い続けていきたいことである。

4 学び続ける「教師」?エピローグに代えて?
 年齢を重ねたせいにはしたくないが,最近,現役教員の頃と
比べると「ここ一番」のふんばりがきかなくなった。そして,
「できない」自分にも気付き始めた。何にでも好奇心旺盛に
チャレンジすることが自己を成長させ,そんな姿を生徒や学生
に見せることが彼らの成長にもつながると信じていたが,恥ず
かしながらどうもそうとは言い切れないらしいということがこ
の歳(46歳)になってわかってきた。依頼を受けた仕事も力押
しでやりきることもできず,ヘコむことも出てきた。いや,以
前はヘコむことすら見ないようにしていたのではないだろうか。
生徒や学生には「どんどん失敗しなきゃ」とか「失敗は成功の
素」などと言っておきながら,わたし自身の失敗は彼らには見
せたくないと思っているエエカッコしいのところも見えてきた。
人にはあれこれともっともらしいことを言っておきながら,そ
の実,自身ではどうだったのか。甘えた自分には「喝!」だと
思っていたが,そうではなくて,自分のありのままを見て「受
け容れる」ことが大事なのだろうと思うし,どんなときにも
「勉強させてもらってるなあ」と思えるようにもなってきた。
「なんだ!今さら何言ってんだ!?そんなの当たり前じゃない
か!!」と笑われるかもしれないが,人それぞれ個性があるよ
うに,そして生徒や学生にもそれぞれ学びのペースがあるよう
に,そして教員もいろんな人がいるんだから…。でも教員には
それが許されないのではないかという気もする。もがき続ける
教員である。では,7歳になった息子に対して,父親としてど
のように接するかも教員としてのスタンスと同一線上にあるの
か。違うような気もするし,共通点も多いような気もする。も
がき続ける父親でもある。
 これを書きながら,ひとつ見つけたことがある。それは「素
直」さだ。垢まみれになった大人の心から生徒や学生,そして
息子に届くのは理論や常識ではない。素直になってみると普段
みているのとは全く違う風景が広がる。もちろんこれは教員だ
けに限ったことではないが,次世代をはぐくむという観点から
すると,教員として,人に・仕事に・学びに素直になることは
忘れないでいたい。
 わたしは現在,国際博覧会(万博)の教育的機能について
ESDを視点として研究している。一見,教師教育となんら関係
ないように見えるが,実は関連性が多くみられる。未発表なの
で,その内容をここで明かせないのは残念だけど,博士課程9
年目に突入するラストイヤーの来年,「ここ一番」のふんばり
をきかして,「できる」自分を取り戻せるかどうか。今一度
チャレンジして,自身の教員としてのブラッシュアップにもつ
なげていければと思う。何だかわたし自身の悩み事とヤル気宣
言をしただけのようなエピローグになったが,学び続ける「教
師」としてまた一歩前へ踏み出したいと思う。
==============================================
 松田さん、壮大なセルフライフヒストリー、ありがとうござ
いました。書きながら見つけていくというプロセスが如実に表
れたテキストでとてもおもしろいです。
 私は松田さんとのつながりも気が付けばもう20年近くにな
るのですね。互いの関心領域が、こうしてまた近づいてくる…
ご縁を感じます。

 次回、2月16日金曜日。渡辺貴裕さん(東京学芸大学教職
大学院准教授)です。対話型模擬授業検討、演劇的手法を生か
した授業改善など、注目の提案を続ける実践的研究者です。

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メールマガジン「教師教育を考える会」
65号(読者数2620)2018年2月13日発行
編集長:石川晋(zvn06113@nifty.com)
登録・解除 http://www.mag2.com/m/0000158144.html
(まぐまぐ:教師教育を考える会)
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石川晋

Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
ぼくにできそうなことは、どんどんお受けしますので、遠慮なくお知らせください。FBのメッセンジャーが一番確実です!

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