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2015-10

【とりあえずいろんなことを考え直してみる、ことから始める】 - 2015.10.25 Sun

 学校を取り巻く状況は、外的な要因からくる変化だけでも、あまりにも急激で、ぼくらが大きな変革に耐えねばならない、そうでなければ、どうしようもなくなることははっきりしているはずなのだが、と思う。例えばこの10年で、地方の小中学校は一挙に子どもの数が減り、中学校は3学級が最低条件と考えられてきた体育祭や合唱コンクール、演劇コンクールなどの既存の仕組みが、実に窮屈になっている。そういうような問題が、あげればきりがなくある。

 いくつか、雑感をメモしておこうと思う。

・子どもたちの育ちは遅くなっている。これは子どもたちの出口が後ろ倒しになっている以上、考えてみれば当然だ。高学歴社会(それが帳簿上であっても)は子どもが大人になることを押しとどめていく。それがいいか悪いかではなく、それが現実なのだ。ぼくの実感では中学校3年生で場合によってはぼくが教員になった30年ほど前の小学校6年生くらいではなかろうか。で、中学校で子どもたちに要求していることはといえば、少しずつ緩和されてきているとは言え、かつてと同じような基準を今もおおむね使っていると感じる。この問題はかなり大きい。

・小学校6年間、あるいは中学校3年間だけで作る成長モデルを壊したい。例えば合唱コンクールの指導は、中学校1年生は教師が指導し、2年生は徐々に教師が手を離し、3年生は自主的に、というのがデフォルトの指導(観)になっている。しかし少し考えればこの意味の分からないレディネス発想は昔はいざ知らず、今ことさらに強調することで、どういう意味があるのだろうということに突き当たる。子どもは就職期までの長いスパンの中でバトンを受け渡しながら育てていくものだ。合唱コンクールにしたところで、目の前の子どもの実態に合わせて、教えるなりまかせるなりすればいい、そういうことではないのか。

・部活動を入学後2,3週間で決めさせ、さらに、辞めることで落伍者のような雰囲気を醸し出していく現在の状況は、やり直しの効かない人生、途中で道を変えることへの恐怖を、植え付けるには完璧なシステムだ。自分にあった部活動を何度も選び直しでき、その結果、生涯をともに楽しめる競技・ジャンルに出会っていくという仕組みを、義務教育の中で作りたい。キャリア教育がうまくいかない現況は、ここにあるとさえ、思う。

・ICT活用が産む格差に自覚的になりたいと思う。ぼくの住むところは、ポケットwifiが機能しない。人口カバー率90%などを標ぼうする通信会社は、見事にぼくの暮らすような地域を無視している。中心街だけかろうじて機能する田舎町も少し郊外に出れば全く使えない。子どもたちが本気で外に出て調べ学習ができる条件など、田舎にいる限り全く見通せない。それはたしかに全人口の90%外の少数の問題だが、切り捨てられていく大地の問題は全く無視されている。田舎で暮らせない仕組みづくりに、本当は貢献しているのだ。情報が全国津々浦々までいきわたるという言葉を無精査に信じる者たちは、しょせん、本当の田舎の疲弊を知らない者たちだ。さらに、ICTに参画できない貧困者の問題も含めて、ぼくは、バラ色の言葉で切り捨てる教育者になりたくないと思う。

・学校外から学校の中に教員として参入してくる流れについて、肯定する意見と否定する意見とがある。ぼくには肯定側の意見も、否定側の意見もなるほどなあと思えるところはある。例えば教員免許と採用試験をくぐって教員になった正規教員が、そうした過程をないがしろにするのは専門性をバカにしているという議論を立てるのは、あながち間違ってはいないと思う。しかし一方で、これだけイノベーションを起こせない硬直した学校現場なら、多様な人生経験を持ち、学校教員を構成する学力層よりも高い学力層からの参入でも認めなければらちがあかんわなあというのも正直な実感だ。

・地方の小さな学校でも、若い先生は仕事がしにくい。クラスが少なくなったために、担任を持つと他の学級との差の問題にすぐに直面する。つまり、一学年1,2学級規模の学校だと、保護者が若い先生よりも、「学校のベテラン」であるということが、若い先生の仕事を、意図的ではないことも多いのだが、窮屈にするのだ。上の学年ではやっていることが下の学年ではやっていないのはなぜか、というような問いに、若い先生は一つ一つ、逃げ場のない状態で直面していく。ベテラン教員ならば(まともな教員なら)一つ一つの取り組みにその先生なりの明確な理由がある。説得の材料も持っている。しかし、若い教員は明確な理由を持っていないこともあるし、持っていても説得の材料に乏しかったり方法を持たなかったりすることも多い。学校の小規模化は、確実に若い先生の仕事を難しくしていると思う。




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【再び腰を痛める・・・初雪】 - 2015.10.25 Sun

 朝、起きてすぐ、ちょっとした動作で、腰がぴきっとなり、その後は一日そろりそろりと歩く羽目になる。
 うららを神社公園に連れて行くと、ナイタイ高原は雪化粧しており、その向こうから雪雲がこちらへと少しずつ伸びだしてくるようだった。うららを車に乗せて、ナイタイ高原方面へと向かうと、市街地を過ぎるとすぐに、初雪となった。
 ナイタイ高原で、うららと一緒に初雪を見る。
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 原稿が書けそうな気持だったのだが、結局夕方まで何も手をつけずに時間を過ごしてしまった。
 21時から、楽しみにしていたNHK新・映像の世紀。20年前のシリーズは、今思えば、その後のぼくの中に深く刻み込まれているように思う。加古隆の音楽にのせて、発掘された様々な映像が、人間のおぞましさとむごたらしさと単純さとを、若い教師だった自分にこれでもかこれでもかと突きつけてくることになった・・・。共産党は「加古隆の荘重な音楽が、いかにも共産主義が死んでしまったかのように演出し・・・」というような感じで、いらだちを隠せない番組評を「赤旗」だったかに載せていたが、バラ色の未来があると信じたソビエトにそんなものがなかったことは誰の目にも明らかだった。もっとも番組自体は資本主義の野蛮さをもこれでもかこれでもかと暴き出し、とても平等だったと、視聴者の一人として思う。

 今日始まった新シリーズも、直視できない映像の連続だった。
 残念ながら、まるで最近の世界の映像を、画像処理してリピートしているような、そんな思いにもなる。
 50歳を目前にしたぼくに、何ができるかな、残念ながら無力感が沸き起こってくる、そういう番組でもある。

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 ということで、今日はこれ。「パリは燃えているか」
 久しぶり。メシアンの弟子であるという加古のコンサートには、2度ほど足を運んだことがある。素晴らしいピアニストなのである。
 今回のシリーズでは、下野竜也&NHK交響楽団で再録音されたものが使われていた。ぼくは前回のバージョンの方がいいなあと思う。

みぞれだ - 2015.10.25 Sun

 すぐ近くの山にも温泉にも、雪は降ったけれど、ここではまだだったと思う。
 今夜、この時間、みぞれになった。初雪だ。

 いよいよ冬がやってくる。



 この15番、久しぶりにとてもいいと思う。
 この曲の演奏は本当に難しいのだろうな。

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石川晋

Author:石川晋
北海道の中学校教師を退職しました。
都内に潜伏して、ゆっくりのんびりしなやかに、教育、芸術、自然の話をしながら、これからの自分のことを考えつつ、新しい状況に対応する「学びのしかけ」のことを考えて行きます。facebookアカウントは、
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920
ぼくにできそうなことは、どんどんお受けしますので、遠慮なくお知らせください。FBのメッセンジャーが一番確実です!

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