セパレーション問題などから・・・考えている事 - 2012.02.29 Wed
『北海道児童文学』の同人誌評を昨日入稿。
今日は協同学習の原稿の執筆になんとか入る。
夕べは、FBで、「セパレーション」問題について「対話」。
少し広がってぼくは、最初の1カ月が学級づくりの成否を分けるという言い方は半分本当で半分嘘だと思っている。 それと同じように、翌年に向けたスロウランディングが必要だという議論も「後退」だなという思いをぬぐえない。
ぼくらは、どこまでも私らしい授業づくり・学級づくりの物語を受け渡ししていける職場を、「制度」づくりのレベルではなく、人的交流のレベルでどうやって実現していけばいいのだろう。
そこでポイントになるのは、「同僚性」の回復なのではなく、「異質性」「越境性」をどう認め合えるかということなのではないかと思うわけだ。
「対話」も、日本語に置き換えると、なごやかで気持ち良くだけがなんだか強調されるわけだが…そうではなく、本当の意味では絶対に理解し合えないことを前提に話し続けることが「対話」の本質なのだとぼくは考えている。同僚同士仲良く、横並びで突出せずを是認しながら進める(後退する)のではない在り方や道筋を生み出していくために、最後まで闘えるだろうか。
あ、とにかく原稿だ。
今日は協同学習の原稿の執筆になんとか入る。
夕べは、FBで、「セパレーション」問題について「対話」。
少し広がってぼくは、最初の1カ月が学級づくりの成否を分けるという言い方は半分本当で半分嘘だと思っている。 それと同じように、翌年に向けたスロウランディングが必要だという議論も「後退」だなという思いをぬぐえない。
ぼくらは、どこまでも私らしい授業づくり・学級づくりの物語を受け渡ししていける職場を、「制度」づくりのレベルではなく、人的交流のレベルでどうやって実現していけばいいのだろう。
そこでポイントになるのは、「同僚性」の回復なのではなく、「異質性」「越境性」をどう認め合えるかということなのではないかと思うわけだ。
「対話」も、日本語に置き換えると、なごやかで気持ち良くだけがなんだか強調されるわけだが…そうではなく、本当の意味では絶対に理解し合えないことを前提に話し続けることが「対話」の本質なのだとぼくは考えている。同僚同士仲良く、横並びで突出せずを是認しながら進める(後退する)のではない在り方や道筋を生み出していくために、最後まで闘えるだろうか。
あ、とにかく原稿だ。









