ショスタコーヴィチの交響曲全集(マキシム&プラハ響)

 ショスタコーヴィチの交響曲全集を数日かけて少しずつ聞いている。
 ぼくの大好きな作曲家である。

 全集にもすぐれたものが多い。
 ぼくは手元に、コンドラシン、スロヴァーク、バルシャイなどを持っているが、なぜか手を伸ばして聞いてしまうのは、息子マキシムがプラハ響とともに完成させた全集である。
 プラハ響はとびきりうまいオーケストラではない。一度札幌kitaraで聞いたことがあるが、まあ、東欧の伝統的な弦の厚みを有したまずまずのオーケストラという印象だった。
 しかし、それにしても・・・。いくらなんでも、いくつか素晴らしい演奏(13番とか)があるが、全集を通して一貫して、ひどい演奏が続く。弛緩しきったアンサンブル、平気で音をはずす管楽器・・・。ライブ演奏ということだが、スタジオ演奏かな、というものも混ぜ合わさった全集で、そもそも10年の時間のものを集めているという体裁も、杜撰だ。
 しかし、なんだろう、これはもう血としかいいようのない、不思議な息遣いに心を奪われる瞬間がある。時として厳しすぎたり、自虐的すぎたりする、ショスタコの交響曲が、とてもとても温かく響くのである。

ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (10CD) [Import] (COMPLETE SYMPHONIES)ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (10CD) [Import] (COMPLETE SYMPHONIES)
(2006/11/01)
マキシム・ショスタコーヴィチ&プラハ響

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 マキシムは、指揮者としては凡庸だったということになるのだろう。西側亡命後も活動はしりすぼみであり、父が得たような名声を得ることはついにかなわなかった。

 しかし、若き日に残したモスクワ放響との15番交響曲の清新な響きと透明感を超える、同曲演奏はいまだにないとぼくは思う。
 父の楽曲のすぐれた解釈者として、彼の名前は残っていくのだろう。

salyuの声

 salyuのベストを車の中で聞いていた。
 久々の声。
 まっすぐに心に届いてくる声。

merkmal 通常盤merkmal 通常盤
(2008/11/26)
Salyu

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研究会を行うということ

 第一義的には、やってる本人たちが楽しいということがある。
 修業が大嫌いなぼくは、研究会が修業なら(いわゆる苦行という意味での)、こんなにやってられなかっただろう。

 今日の中学校学級経営セミナー。
 いつもの講師陣に加えて、森井さんと大野さん。午後遅くにしか参加できなかったぼくは、森井さんと大野さんの講座を受けることができなかったが、既に常連となった参加者たちがニコニコしていて、楽しかったことがわかる。

 しかし何よりも、スタッフが大喜びしている。
 これだ、これだ、と思う。
 長続きのポイントは、結局、これなのだ。

 楽しむために、企画も楽しいものを考える、そういうスパイラルのある研修会は楽しい。
 そういうことだろう。

資料・原稿完成する

 授業づくりネットワーク誌の連載原稿をやっと書きあげる。
 「ハイブリッド型授業」のすすめである。
授業づくりネットワーク 2009年 12月号 [雑誌]授業づくりネットワーク 2009年 12月号 [雑誌]
(2009/11/13)


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 上條さんと何点かやりとりをして完成させる。
 「対話」は大切だ、と改めて思う。

 その後、同時並行で進めていた明日の資料づくりに集中し、先ほど完成した。学級経営に役立つワークシートづくりの1時間半講座。資料はたくさんある。でもどうまとめたらいいのかわからない。そもそもニーズがあるのかどうかもわからない。厳しい作業だった。

 仕事が終わって、ぼうっと座っている。
 伊藤サチコの名盤”僕の場所”を聞きながら。
僕の場所僕の場所
(2004/07/21)
伊藤サチコ

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 名曲”music life”が入っているアルバムだ。
 ねなければ。札幌に行かなければならない。

総合的な学習の時間「校舎写真展」2時間目

 拍手コメントに勇気づけられて、今日のことも少し書く。

 今日は予定通り、総合の今後の展開についてのガイダンスだった。
 最後に、活動への期待抱負を生徒に書いてもらったが、大変肯定的なもの、既にやってみたいことがたくさん書かれているもの・・・ほっとひと安心であった。

 写真展のために、プロの写真家に来ていただきたいと思っている。
 数年前から親交のある小寺卓矢さんだ。

 小寺卓矢 森の写真館
 http://photokodera.blog87.fc2.com/

 今日は小寺さんの絵本を読み聞かせした。素晴らしい作品である。しびれる。

 学校というところは、ほとんど疑似体験と概説でできている。
 総合的な学習の時間は、ほぼ唯一、本物に出会わせることのできる場所なのだ。
 秋に大野睦仁さんに来ていただいたのも、本物に出会わせることの大切さを痛感しているからだった。

 中学校も先生方は忙しい。総合的な学習の時間をもてあましている。できれば、行事や補充学習にあててしまいたいと願っている。カリキュラム開発をしなくて済むのだ。楽な方法だ。総合的な学習の時間の価値を低く見る先生も多い。

 しかし、ぼくが組んできた学年の先生方は、みんな、総合的な学習の時間を大変だけどおもしろかった、価値ある学習だったと言ってくださる。それは何かなと考えてきた。最近答えに近いものが見つかりつつある。それは、嘘ん子ではない本物の学習をやろうと、ぼく自身が願っているからだということだ。

 前任校で、中1の生徒が町民相手に、町のホールで、街づくりのプレゼンテーションをした時もそうだった。私たちが本気で価値ある活動を作りたいと願うなら、子どもも妥協なく活動するものなのだ。
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